真佐美ジュン
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まさみ じゅん
真佐美 ジュン
本名下崎 闊
(しもざき ひろし)
別名義下関 闊
下崎 潤
生年月日 (1945-10-14)
1945年10月14日(78歳)
出生地 日本 埼玉県浦和市
職業 アニメーションスタッフ
 演出家
引退後の経歴
 自動車整備工
 運転手など
ジャンルテレビアニメ
活動期間1965年 - 1973年9月30日
活動内容1965年虫プロダクション入社
社長室勤務
1971年手塚プロダクション移籍
1972年日本テレビ動画勤務
ドラえもん』制作主任
事務所虫プロダクション
(1965 - 1971)
手塚プロダクション
(1971 - 1972)
日本テレビ動画
(1972 - 1973)
公式サイト ⇒真佐美ジュンのサイト
主な作品
ドラえもん』(日本テレビ版)
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真佐美 ジュン(まさみ ジュン、1945年10月14日[1] - )は、国産テレビアニメ黎明期の1960年代後半から1970年代前半にかけて活動した日本のアニメスタッフ。

本名は下崎 闊(しもざき ひろし)[2]。男性。東久留米市在住。

1965年から旧虫プロダクションにて『ワンダースリー』の制作進行に携わったのち、手塚治虫秘書として社長室勤務を1年間務める。その後『リボンの騎士』『千夜一夜物語』『どろろ』などを制作したのち、1971年に手塚が虫プロの社長を退陣するのと同時に手塚プロダクションの映画部に移籍。同社では手塚の演出助手を『ふしぎなメルモ』で務めたのち『海のトリトン』の制作担当を経て1972年に退社。同年、スタジオTAKEで『モンシェリCoCo』の制作主任を経て元請けの日本テレビ動画に入社。

1973年、制作主任として幻の日本テレビ版『ドラえもん』の制作に携わり、日本テレビ動画の解散現場に居合わせた数少ない証言者の一人となった。

同社の解散後はアニメ業界を引退し、自動車整備工板金会社などを経て、現在は手塚治虫や日本テレビ版『ドラえもん』にまつわる講演活動のほか、日本テレビ動画研究会会長、六仙公園友の会事務局長 東久留米市環境美化推進員も務めている。
来歴

埼玉県浦和市(現 さいたま市)に生まれる[3]埼玉県立蕨高等学校卒業[1]サラリーマンになるが長続きせず、ポール・アンカニール・セダカが好きな歌手志望でビクター音楽学院へ通っていたとき新聞で見た虫プロダクションの求人記事を芸能プロダクションと勘違いして応募[4]。1965年、虫プロダクション入社し、入社2日目にして『ワンダースリー』の制作進行を担当[4]。1966年7月から1年弱、虫プロの社長室勤務となり、手塚治虫のスケジュール管理をする秘書の仕事を行う[3][5]。その後、手塚は虫プロから離れることになり、真佐美は再び現場に戻って数々の虫プロ作品を手がけた[6]

1971年、手塚プロダクション内に映画部が立ち上がったことで手塚から声がかかり同社に移籍するも[1][6]、映画部は1972年6月に閉鎖され、7月16日付で退社する[7]

退職後、喫茶店で知り合った女性と結婚[6]。手塚治虫が多忙の合間を縫って結婚の仲人となった[6]。同年、正延宏三のスタジオTAKEで日本テレビ動画制作のアニメ『モンシェリCoCo』を手伝ったのち[8]、1972年11月に『ドラえもん』の制作担当を日本テレビ動画の佐々木一雄プロデューサーから依頼され、日本テレビ動画に入社[9]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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