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この項目では、防具について説明しています。倉橋ヨエコシングルについては「」をご覧ください。
スクトゥム

盾(たて、楯、: shield)は、刃物による斬撃や刺突、鈍器による打撃、および弓矢投石銃器射撃などから身を守るための防具

表彰の際に贈られる記念品については、後述の記念・賞としての楯を参照。
素材

ルネサンス後期には製が現れたが、ほとんどは製で、製のものもよく使用された。古い時代には青銅製もあり、重量が大きかった。通常は縁を補強するが、バイキングはこれをせず材質も柔らかい木材を使った。相手の剣を盾で受け、刃が食い込んで動きがとれなくなった一瞬を狙う目的があった。現在は、ジュラルミンポリカーボネート製の盾がある。
歴史と形状.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

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出典検索?: "盾" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2017年7月)

先史時代?古代
古代ヨーロッパホプロンを装備するギリシャ兵が描かれた壷(紀元前550年頃)スパルタンシールド

古代ギリシアや、それを源流とするヘレニズム文化圏では、ホプロンと呼ばれる丸盾と貫徹槍を装備した重装歩兵の密集陣形が活躍した。盾と槍の隙間無い陣形は、並大抵のことでは突破できず、ペルシア帝国との戦いでは、圧倒的な数の不利を逆転したという。

古代ローマの帝国初期の歩兵は、スクトゥムと呼ばれる四角、もしくは楕円形の大型のものを使用した。これを隙間なく並べ、個人の技量よりも集団の動きを重視し様々な陣形を組んだ。城壁に接近する場合は亀甲のように上面に盾を並べ投擲物から身を守った。散開した際も個々に使用し、ホプロンと比べてやや重い分、防御力が高い。また、帝国末期には、盾の裏に数本の投げ矢(槍)を仕込んで装備する事もあった。

馬に乗るノルマン人は涙滴形を使った。これは円盾の下部が伸び、足を守るものである。ヨーロッパ騎士の持つアイロン形はこの上部が水平に切られた物で、ドイツ型はさらに裏から見て右片方(すなわち武器を持った利き腕の側)の上辺が切り欠かれ、視界を良くした。この切り欠き部は騎馬突撃に際して槍の保持にも使う。ポーランドなどのものは逆に左上辺が長く上に伸び、側頭部を守る。

金属で補強された盾は、縁を武器で連打して大きな音を出し、敵兵や馬を威嚇することに使われた。日本の機動隊などポリカーボネート製の盾(ライオットシールド)を装備する現代の暴動鎮圧部隊でも行われる事がある。
古代中国

前5世紀の遺跡から出土した盾からも、この時点で高度な塗り装飾が行なわれていたことがわかる[1]。前4世紀出土のもので、反りがついており、布が貼られたもの(複合素材盾)もある(これらの盾の形状は、複雑かつ分類ができない)。鉄盾に関しては、『韓非子』の記述にある「重盾(じゅうじゅん)」が鉄盾を指すものと考えられており[2]、戦国期には用いられた。

弥生・古代日本と同様、古代中国でも実戦用だけでなく、行事用の盾があり、追儺がそれに当たる。この大陸式の行事用盾の文化は8世紀初め、文武天皇の治世には日本に伝わり(『広辞苑』一部参考)、『公事十二ヶ月絵巻』の絵画中にも、鬼を追う役が右手に五角の持盾、左手に矛を持つ姿が描かれ、祭事としても各地に伝承されている。中国では、こうした呪術的な面での使用は戦国期には見られ、『周礼』に記述される方相氏が、仮面をかぶり、戈と盾をもち、鬼霊を祓う呪術師一族としている。
古代朝鮮

高句麗安岳3号墳4世紀後半)の出行図(壁画)には、歩兵は盾を持っているが、重騎兵には盾が描かれていない。時代が下ると、伽耶金海出土の5世紀頃の騎馬人物形土器に、人馬甲を身にまとった上で盾と槍が表現されており[3]、馬盾がみられる。この馬盾と槍のセットが北方から伝わったのかは不明だが、同時期の日本においては、(記・紀資料や壁画を含め)確認されていない。
弥生時代の日本

岡山県岡山市の南方(みなみかた)済生会遺跡(弥生時代中期中葉)から出土した木製盾は針葉樹の板材製で、長さは21.7センチ(部分出土で全長は不明)。中央部にサヌカイト製の石鏃が刺さった状態で出土した。

滋賀県守山市の下之郷遺跡(弥生時代中期後葉・1世紀前後)から出土した木製盾は長方形である。4枚のスギ板と2本のサカキの補強材を組み合わせて作られ、裏側には植物繊維が巻かれた把手(とって)がついていた。長さは105センチ。装飾などは見らない。当遺跡からは焼けた弓や折られた銅剣なども出土している。

一支国の国都に比定されている原の辻遺跡長崎県壱岐島)からは色に塗られた木製盾が出土しており、また、鳥取県鳥取市青谷上寺地遺跡(弥生時代後期)からは色に塗られた盾[注釈 1]が出土している。

奈良県田原本町の清水風遺跡(弥生時代中・後期)出土の土器絵画からは、左手に盾、右手にを持った羽飾りの戦士が線刻されており、戈と盾が併用されていたことを示す資料となっている。これが祭祀の様子を線刻したものなのか、別の場面を表したものかは不明[4]

古代日本

日本の盾の初見は「神代紀」の国譲之条の「百八十縫之白盾」である。これは神宝の盾だといわれる[5]

魏志倭人伝の記述として、倭人が木製楯を用いていたことが記述されている(漢字で楯と表記した場合、木製をさす)。兵用矛潤B? 『三國志』魏書東夷傳倭人条美園遺跡出土 家形埴輪大阪府立近つ飛鳥博物館展示。

奈良県の3世紀から4世紀にかけての遺跡[注釈 2]からは多くの木製盾と木製埴輪(矢傷などがない)が出土している[6]。盾には装飾として、板材に多数穿孔され糸綴じが行われている例があるが、盾に対する糸綴じは強度を高めるためという指摘もある[7]

5世紀頃になると、鉄製[注釈 3]が登場し、以降、革製、石製盾(実用武具ではなく、石製埴輪であり、福岡県に見られる[注釈 4])なども用いられるようになり、5世紀末から6世紀にかけて、盾持人埴輪が盛んに古墳の周囲に置かれるようになる。古墳を悪霊・邪気の類から守るための呪具として制作されたとみられている。大阪府八尾市美園遺跡の方墳から出土した家形埴輪の2階の壁には盾を表す線刻があり、悪霊の建物への侵入を防ぐ役割を担っていたと解釈されている[8]。建物の四方に盾を立てたと推測されている[注釈 5]。また『日本書紀』の巻第三十において、持統天皇4年(690年)春正月に持統天皇の即位に際して物部麻呂朝臣が大盾を樹てたことや、『続日本紀』において、文武天皇2年(698年)11月に行われた大嘗に榎井倭麻呂が大盾を立てる儀礼を行い、以降、大嘗に当たり、物部・石上・榎井氏によって、大嘗宮の門に盾を立てることが慣行となったとある。


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