相生町(あいおいちょう)は兵庫県神戸市中央区の町名の一つであり、元々は兵庫津の一部で、江戸時代、東川崎町の北西、旧湊川東岸、旧・西国街道(山陽道)沿いに、岡方の一町として誕生した。明治中期から昭和6年(1931年)まで兵庫相生町と呼ばれた。郵便番号は650-0025[1]。 商業地域。中央区の西南、旧・兵庫津の北東辺縁の旧・西国街道沿いの平地に形成された。『西摂大観
地理
南東は西から栄町通、東川崎町、西は兵庫区の湊町、北西は西から古湊通、中町通、多聞通、元町高架通、北は元町通。東から順に一?五丁目に分かれる。
JR東海道本線・山陽本線は域内の神戸駅を各々の境とし、南北に縦断する。その高架下は飲食店街である。 町名の由来ははっきりしない。『西摂大観
一丁目
グリーンD51 - 静態保存された国鉄D51形蒸気機関車1072号機
神戸海員会館
シーガルホール
神戸公共職業安定所
NTT神戸ビル(元町電話局・神戸中央電報局)
NTT神戸会館
三丁目
JR神戸駅
神戸バスターミナル
デュオこうべ
四丁目
五丁目
神戸相生郵便局
相生町公園
フレール神戸相生町
相生町小公園
歴史
明和6年(1769年)の兵庫津絵図(鷲尾家蔵)には見えず[3]、天明8年(1788年)の覚書にも見えず[3]、寛政5年(1793年)の『兵庫岡方文書』の印形帳に町名が見え[2]、1788?1793年の間に町立てされたらしい。
江戸時代後期の兵庫津の発展に伴い、湊町にあった湊口惣門の東側の西国街道沿いに市街地が広がった[2]。文久2年(1862年)の兵庫津絵図(早稲田大学図書館蔵)では湊川の東岸より宇治川まで山陽道の両側に家並みが書かれ、更なる家数増があったとみられる[3]。幕末の地図には「宇治野村出郷相生町」という地名も見える[2]。
明治元年(1868年)、岡組に属す。
明治3年(1870年)相生町に鉄道停車場の建設が決定。
明治5年(1872年)兵庫一番組に属す。
明治7年(1874年)、日本で2番目の鉄道が大阪?神戸間に開通した時ここに神戸駅が設けられる。旧来の西国街道が鉄道で分断されたため跨線橋・相生橋が作られた。これは日本最初期の跨線橋の一つで、外国人が設計し、幅三間(5.45m)の木製で、階段があり人だけが通った。橋上から汽車が見える名所として「川がないのに橋がある」と歌われたという[2]。この時跨線橋の袂には「兵庫県里程元標」という木柱が設置された。同年、組制廃止。
明治12年(1879年)、神戸区所属となる。相生橋東詰めに神戸警察署設置。
明治22年(1889年)、神戸市の一部となる。跨線橋が鉄橋となり車も通れるようになる。
明治27年(1894年)、一?五丁目に分かれる。
明治28年(1895年)、市役所所在地兵庫東川崎町の一部を編入。
明治32年(1899年)、十合呉服店(現・そごう。店舗としては現在の3代目神戸阪急)が二丁目に開業。同38年に神戸元町通五丁目へ移転。
明治43年(1910年)、神戸電気鉄道(後の神戸市電)開業、相生橋上を通る。この時「兵庫県里程元標」が石柱に取り替えられる。
明治44年(1911年)、旧市庁舎に図書館開設。
大正2年(1913年)、神戸電気鉄道楠公前?西柳原間が開通。
大正10年(1921年)、神戸商業会議所を東町へ、市立図書館を大倉山へ移転。