相洋中学校・高等学校
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度15分6.8秒 東経139度8分45.0秒 / 北緯35.251889度 東経139.145833度 / 35.251889; 139.145833
相洋中学校・高等学校(そうようちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、神奈川県小田原市城山四丁目に校舎を置く私立中学校・高等学校。
生徒数は中・高合わせて約2,000名、教職員数約190名、校舎数8棟と大規模である。高校の普通科は、特進コース、文理コース、進学コース、一貫コースの4つに分かれている。
沿革
1938年
4月1日 - 神奈川県立小田原中学校内に、小田原夜間中学として設立認可。
4月26日 - 小田原中学校長林田政徳が初代校長を兼任。当日をもって開校記念日とする。
1939年1月20日 - 校名を相洋中学に改称。
1940年
3月3日 - 校旗を制定。
8月15日 - 文部大臣から、財団法人相洋育英会の設立許可を受ける。
1941年
4月1日 - 文部大臣から、中学校令による中学校として許可を受ける。
6月15日 - 小田原市より、小峯公園内の1,500坪の土地を借り受け、校舎建設に着手。
1942年4月1日 - 校舎が竣工、移転(現在は解体)。
1946年10月6日 - 校歌を制定。作詞は教諭の村瀬輝光(代表作に神奈川県の2代目県民歌「光あらたに」)、作曲は武蔵野音楽学校。
1947年7月16日 - 学制改革に伴い、新制の中学校を設立。男女共学となる。
1948年
3月14日 - 財団法人相洋育英会を学校法人明徳学園に改称。
3月30日 - 新制高等学校の認可を受け、校名を相洋高等学校・相洋中学校に改称。
1953年4月1日 - 商業科を新設。
1958年11月8日 - 本館校舎(2号館)が落成(現在は解体、建て替え済み)。
1959年10月7日 - 物理化学実験室が落成(現在は解体)。
1960年4月1日 - 工業科(電気科)を新設(現在は廃止)。
1963年10月12日 - 3号館が落成。
1965年11月10日 - 第二体育館(7号館)が落成。
1971年6月17日 - 特別教室校舎(8号館)落成。
1973年9月15日 - 小田原市穴部に野球グラウンド建設。
1974年3月31日 - 5号館が落成。
1978年5月11日 - 雨天体操場が竣工。
1979年
7月23日 - 海外研修制度を発足。
10月29日 - 特別教室棟(6号館)が落成。
1981年2月12日 - 4号館が落成。