相模川
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この項目では、山梨県および神奈川県を流れる河川について説明しています。そのほかの相模川については「相模川 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

相模川
相模原市緑区大島付近。奥に見えるのは新小倉橋
水系一級水系 相模川
種別一級河川
延長113 km
平均流量-- m³/s
流域面積1,680 km²
水源山中湖(山梨県)
水源の標高981 m
河口・合流先相模湾(神奈川県)
流域 日本
山梨県神奈川県


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上流の桂川と名勝猿橋(2017年11月16日撮影)

相模川(さがみがわ)は、山梨県神奈川県を流れる相模川水系の本流で、一級河川である。世界遺産富士山の伏流水を水源とする忍野八海山中湖に源を発する。山梨県内の呼称は「桂川」。
名称

相模川の名前は相模国に由来する[1]

上流の山梨県では、桂川(かつらがわ)と呼ばれている。由来については、かつて都留市東桂から富士吉田市明見、鐘山へと続く流域にの大木が茂っていたことに因む説[2]都留郡のつるが蔓葛(つる)と転記され、蔓葛(かづら)の読みから桂へ転記されたとする説[3][4]石割山の石割神社の桂の神木に因む説[5]などがあり、定かではない。源流点の山中湖の吐水口付近では梁尻川、忍野村域では横川、富士吉田市域では三日月川[6]、大堰ノ川、焼橋川などと呼ばれたこともある[7]

河口近くの下流では、馬入川(ばにゅうがわ)と呼ばれている。鎌倉時代に相模川を渡る東海道に初めて相模川橋と呼ばれる橋が架けられたときに、落成供養に臨んだ源頼朝が乗った馬が暴れて落ちたという伝説にちなむ[8]

古くは鮎川(あゆかわ)と呼ばれ、が多くおり、鮎漁が川沿いの暮らしに深く関わってため名付けられた。江戸時代から相模川産の鮎は将軍家への「献上鮎」として江戸城に上納されていた[1]
地理

山梨県南都留郡山中湖村富士五湖の一つでもある山中湖を水源とする。富士山北麓の水を集めながらまず北西に流れ、富士吉田市で北東に折れる。都留市を経て大月市で流路を東に変える。相模湖津久井湖(ともに相模原市)という2つのダム湖を経て、ゆるやかに進路を変え、厚木市からは南にまっすぐ下り、神奈川県中部を貫き平塚市茅ヶ崎市の境付近で相模湾に注ぐ。

都留市より上流では富士山の噴火による噴出物に関連した地形が見られる。大月市付近より下流では河岸段丘が分布し、相模原市緑区東部より下流に相模平野を形成する。左岸には数段の段丘面を持つ相模野台地(相模原台地)が広がり、南に流路を変えた厚木市・座間市よりも下流には自然堤防を伴った沖積平野を発達させている。河口(.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度18分55秒 東経139度22分09秒 / 北緯35.315168度 東経139.36925度 / 35.315168; 139.36925座標: 北緯35度18分55秒 東経139度22分09秒 / 北緯35.315168度 東経139.36925度 / 35.315168; 139.36925)における三角州の発達は見られない。相模原市内河川敷に設けた「花と芝生の広場」で、平成元年度国土交通省手づくり郷土賞(生活の中にいきる水辺)受賞。

古相模川は現在の鶴見川河口から古東京湾に注いでおり、西遷の過程で(それぞれ現在の)帷子川引地川境川の流路を穿ったと考察されている。

なお、鉄道のJR相模線と一般道の国道129号および、高速道路の首都圏中央連絡自動車道が本流のすぐ側を並走している。
利水

相模川では1938年に神奈川県が相模川河水統制事業に着手し、以来戦後にかけて総合的な河川開発事業が進められた。相模ダムにより形成された相模湖城山ダムにより形成された津久井湖と中津川に建設された宮ヶ瀬ダムにより形成された宮ヶ瀬湖は導水路によって連結され、相互に水を融通しながら寒川取水堰相模大堰などより取水され、県西部を除く神奈川県の各都市(横浜市川崎市横須賀市相模原市鎌倉市など)の水がめとして重要な位置を占めている。また津久井湖は神奈川県企業庁の水力発電事業として、境川に建設された本沢ダムにより形成された城山湖との間で揚水発電を行っている。地方自治体による公営発電事業において揚水発電を行う自治体は神奈川県が唯一である。また山梨県内においては東京電力の前身の一つである東京電燈によって明治時代後期から駒橋発電所などの水力発電所が設けられたが、支流の葛野川流域において富士川水系も利用した葛野川発電所が建設され、葛野川支流の土室川に葛野川ダムが建設された。この他山梨県によって葛野川に治水と利水を目的とした深城ダムが建設されている。

古名の鮎川が示すように、がとれる川である。今でも山梨県、さらに城山ダム以南、神奈川県流域でも鮎が釣れる。天然遡上のものも神奈川県流域で確認されている。毎年、現地漁業組合の管理のもと、放流も行われ、解禁後は多数の鮎釣り客で賑わう、また不忍池などに営巣するカワウがこの鮎などを採餌するために飛来している。一方、粗大ゴミの不法投棄や釣り人およびレジャーで訪れる人々の捨てていくゴミが問題になっている。
主な出来事

1908年(明治41年) - 相模橋が開通。渡船場(厚木の渡し)が廃止[9]

大正初期 - あつぎ鮎まつりが始まる。後に花火大会などが加わった[10]

1931年(昭和6年) - 昭和橋が完成。渡船場(当麻の渡し)が廃止[11]

1962年(昭和37年)8月26日 - 相模川が増水して釣り客6人が水死。原因は台風14号の接近による集中豪雨に加え、相模ダムの放水連絡の不徹底にあるものとされた[12]

1964年(昭和39年)9月8日 - 厚木市の河川敷にアメリカ軍のF-105戦闘機が墜落。乗員1名が死亡。

2004年(平成16年)3月27日 - 神奈川県立相模三川公園完成。


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