相模太郎_(2代目)
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さがみ たろう
相模 太郎
プロフィール
本名小森 敬蔵
[1]
性別男性
出身地 日本東京都
生年月日 (1931-03-24) 1931年3月24日
没年月日 (1981-03-30) 1981年3月30日(50歳没)
職業浪曲師声優俳優
事務所フリー
著名な家族初代相模太郎(父)
活動
活動期間1960年 - 1981年
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

二代目 相模 太郎(にだいめ さがみ たろう、1931年3月24日 - 1981年3月30日)は日本浪曲師声優1972年までは初名の相模 武(さがみ たけし)で活動していた。初代相模太郎の次男[1]
来歴

東京都出身。幼少期から浪花節を聞いて育つ[2]日本大学芸術学部卒業[1]

グループりんどうを経て[3]、東京アクタープロ社長[4]。太陽プロモーションにも所属していた[5]

デビューからしばらくは相模武として活動したが、父の逝去に伴い、1972年に2代目相模太郎を襲名。

1960年吹き替えへ出演してからは声優としても活動[2]。多くの大衆やファンにはそちらで名前を知られた[6]

将来を嘱望されつつ活躍を続けていたが、1981年3月30日脳内出血のため急死。50歳没。同年春頃の『てれびくん』の付録ソノシートにおける『怪物くん』のフランケン役が、声優として最後の出演作となった。誌上には訃報が付録の組み立て説明ページの欄外に書き添えられていた。
人物

声種バス[5]

人情浪曲やお笑い浪曲を得意とした。得意演目は「灰神楽三太郎」「銭屋万助」など[1]。「灰神楽三太郎」は父の十八番として人気を博したもので、それを継承する形となった。

1970年代には、浪曲に若い世代を開拓しようと発表されたレコード「ヤング浪曲」シリーズにて『あしたのジョー』と『子連れ狼』を浪曲で口演した。

声優としては浪曲活動を生かし、声を作ったりトーンを変えることはせず、テンポと語り口でキャラクターを表現していた[7]。また、役の立ち位置は顔に出るためそのコントラストを表現するつもりで演じていたという[7]

園井啓介の発言からアフレコは口の動きより目の動きを意識していたといい「感情がよく掴めて上手くいきます」と述べている[2]
後任

相模の没後、声優としての持ち役を引き継いだ人物は以下の通り。

後任役名概要作品後任の初担当作品
兼本新吾フランケン『怪物くん』第28話[注 1]
五王四郎アルドー『最後の猿の惑星WOWOW版追加録音部分
池水通洋アギャール『勇者ライディーン』『スーパーロボット大戦DD

出演
テレビドラマ

女殺し屋 花笠お竜

もうれつ先生

お笑い節ドラ

テレビアニメ
1963年


鉄腕アトム (アニメ第1作)(ブランド)

シスコン王子(ノウスロ侍従長)

1964年


ビッグX

1968年


佐武と市捕物控(ナレーション #18)

ファイトだ!!ピュー太(ブレーキ)

1969年


忍風カムイ外伝(トズラ、万、ゴンゾ)

ハクション大魔王(ブル公[8]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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