この項目では、相模原市の地名について説明しています。小田急電鉄の駅については「相模大野駅」をご覧ください。
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相模大野
町丁
相模大野駅北口(相模大野3丁目)
相模大野(さがみおおの)は、神奈川県相模原市南区にある町名。現行行政地名は相模大野一丁目から九丁目。住居表示実施区域である[5]。 相模原市の南側の玄関口として再開発が進み、現在では南区における最大の都市部に成長している。南区最大の繁華街である。相模大野駅は小田急小田原線と江ノ島線の2路線が乗り入れ、南区最大の利用者数を誇る(約13万人/日)。しかしながら、商業面においては隣接駅の町田駅周辺の方が既に大規模な商圏が形成されていたことから、規模としては中程度とされる。相模原市(旧市街地)北部の中心地である橋本(緑区)に対する南部の交通・商業の中心地として機能している。2019年には市内唯一の百貨店であった伊勢丹相模原店が閉店した。
概要
地理
小田急小田原線と小田急江ノ島線の分岐する相模大野駅を中心とした地域であり、相模大野一丁目?六丁目は駅北側に、相模大野七丁目?九丁目は駅南側に位置する。
1941年4月29日にこの地域を含む高座郡大野村等が合併して高座郡相模原町となったが、このあたりが属する大字上鶴間は大野村としては南の方に位置する。
相模原市を出張所(現:まちづくりセンター)で分けたエリアでは大野南出張所(現:南区役所)管内となる(市の記事の町名を参照のこと)。このため、市の行政機関などで大野と付く施設等に行く場合には注意が必要である。
駅の北側にも大野南と付く施設がある(大野南中学校、大野南出張所など)。
市の行政機関などで大野や大野中と付く施設は旧大野村の地理的な中心に近い古淵駅近辺が多い(大野小学校、大野中出張所(現:大野中まちづくりセンター)など)。旧大野村の村役場もここ(現:大野中まちづくりセンター)に置かれた。
市の行政機関などで大野北と付く施設は淵野辺駅を最寄り駅とするものが多い(大野北小学校、大野北出張所(現:大野北まちづくりセンター)など)。
かつての相模大野は、米陸軍医療センターがある他、4、5件の商店が桑畑の中の農道に点在するくらいであったが、1959年に日本住宅公団(当時)が建設した相模大野団地(現:プラザシティ相模大野
現在の相模大野地区の大部分が属していた大字上鶴間の古くからの中心集落は、原町田駅(現町田駅)に近い境川南側の区域である。現在の相模大野周辺には「谷口(やぐち)」と呼ばれる集落があった。
相模大野駅周辺は、地理的条件に恵まれ市内で最も人口が集中してきたものの、急激な都市化に伴う無秩序な開発と公共施設整備の遅れによって、効果的な土地利用が妨げられてきた。駅周辺は、中央を南北に流れる深堀川を除くと一般に平坦な地形であり、駅前広場は北口のみで隘のため人と車が錯綜し、駅周辺には主要幹線道路がなく幅員の狭い市道と農道だけであったため、交通の混雑をきたしていた。農地や山林等の低未利用地も多く、駅周辺市街地としての特質が見られていなかった。そこで、相模原市が施行者となり、1972年から2000年まで相模大野駅周辺土地区画整理事業が実施され、市の南の玄関口にふさわしい魅力と活力あふれる中心市街地を形成した。現在、駅北口は商業地となり、駅南口はマンションが林立している。
米陸軍医療センターが1981年に日本政府へ返還後、「ロビーシティ相模大野」をキャッチフレーズに、跡地整備事業が実施された。市が複合文化施設(グリーンホール相模大野)、立体駐車場、中央公園を建設した。また住宅・都市整備公団(当時)が百貨店(伊勢丹相模原店 - 2019年閉店)、専門店街(ロビーファイブ)、マンション16棟(ロビーシティ相模大野五番街)を建設した。その際、留保地とされた地域には、外務省研修所及び国家公務員相模大野住宅(12階建3棟)が建設された。
相模大野駅の旧称の通信学校前の由来となる旧陸軍通信学校は、現在の町名では相模大野ではなく文京となる。この旧陸軍通信学校は1938年に杉並から移転し、跡地は相模女子大学と隣接する学校となっている。
伊勢丹相模原店は、テレビドラマのデパート!夏物語・デパート!秋物語・夏!デパート物語でロケ地になった。 (但し、同店は2019年9月の営業を持って閉店し、その跡地への「百貨店」の出店は無かった為、相模大野でのいわゆる「百貨店」は皆無となった。)
相模大野は、「マンションの激戦区」と言われている。大型物件では、駅北口で大京がマンション(18階建)を建設し、2008年3月に竣工した。野村不動産も相模大野駅西側地区第一種市街地再開発事業(詳細は後述)に伴うマンション建設を発表した。さらに、駅南口では日本マランツの工場跡地(7丁目)に住友不動産が32階建、高さ100m、総戸数718の超高層マンションを建設し、2009年2月に竣工した。