相原町
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この項目では、東京都町田市の町名の相原町について説明しています。神奈川県相模原市緑区の町名の相原については「相原 (相模原市)」をご覧ください。
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相原町
町丁
相原駅西口
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日本
都道府県 東京都
市町村 町田市
地域堺地域
面積[1]
 ? 合計6.972 km2
人口(2018年(平成30年)1月1日現在)[2]
 ? 合計15,198人
 ? 密度2,200人/km2
等時帯UTC+9 (日本標準時)
郵便番号194-0211[3]
市外局番042 (相模原MA)[4]
ナンバープレート多摩

相原町(あいはらまち)は、東京都町田市の地名。「丁目」の設定のない単独町名である。郵便番号は194-0211。
地理

町田市北西部、境川の北側に位置し、東西に細長い地域である。北側は丘陵地とそれを刻む谷戸が分布し、南の境川に沿って平坦地が細長く伸びる。この平坦地を町田街道が東西に貫通し、これに沿って集落が街村状に広がっている。

東部をJR横浜線が横断し相原駅が設けられている。駅前商店街はあまり発展していないが、駅周辺は旧堺村の行政中心であり、町田市堺市民センターや市立堺中学校などがある。

北側の丘陵地の多くは森林におおわれているが、相原駅に近い東部ではところどころに宅地造成された住宅団地が分布するほか、1970年代以降、法政大学東京家政学院大学などが都心から移転してキャンパスを設けている。また、法政大学多摩校地遺跡群など多数の遺跡などが発見され平安時代としては国内最大級となる200基以上の須恵器などが焼かれた窯跡が発見されている。

東は小山町小山ヶ丘、西は多摩丘陵の分水界である主稜線を境界に八王子市南浅川町、南は都県境である境川を挟んで神奈川県相模原市緑区川尻広田町屋相原元橋本町橋本、北は多摩丘陵の分水界である主稜線を境界に八王子市館町寺田町大船町七国兵衛宇津貫町片倉町鑓水と接している。
小字「作ヶ?(さくがあらく)」

難読地名として、「作ヶ?(さくがあらく)」という小字がある(1034?1051番地[5])。「?(あらく)」という漢字について、国土地理院が発行する地形図では1967年発行分から50年以上にわたって『「ひとやね」の下に「番」』という文字が記載されていたが、これは本来「?」であるべき表記を当時の町田市が国土地理院に対して地名調書を提出する際に書き誤ったものであった[5]。また、1977年発行分の地形図では「ひとやね」と等高線が重なっていたことから、『新日本地名索引[6]』の字画索引などにおいて地形図に記載された文字の上部を「いりやね」に誤認する例が見られた。当記事の過去の版でも『「入」の下に「番」』と書く字形を「正確」と表現していたが、明治期の旧公図から現在の不動産登記記録に至るまでの表記は「作ヶ?」である。
河川

境川 - 神奈川県相模原市との都県境付近を流れる。

本川・大地沢(境川の支流)


地価

住宅地の地価は、2016年平成28年)1月1日公示地価によれば、相原町字中ケ谷戸857番41の地点で11万3000円/m2となっている。[7]
歴史

1594年(文禄3年)の検地で境川が武蔵・相模両国の境界とされたことにより、北側が武蔵国多摩郡、南側が相模国高座郡に属することとなった。
地名の由来

古くは粟飯原とも表記し、平安時代後期から鎌倉時代にかけて武蔵国多摩郡を中心に割拠した武士団横山党」のうちの粟飯原氏名字の地とされる。
沿革

江戸時代初め - 「相原村」と称した。

1690年元禄3年) - 西から上相原村、中相原村、下相原村に三分され、上相原村は「大戸村」とも称した。当初は3村とも全域が幕府直轄領(天領)であったが、元禄年間以降の地方直しを通じて旗本知行地となった。

1868年慶応4年、明治元年) - 武蔵知県事の設置とともにその管内となり、同年末までに神奈川県に移管された。

1875年(明治8年) - 上相原村・中相原村・下相原村が合併して相原村となる。

1878年(明治11年) - 郡区町村編制法により南多摩郡の所属となった。

1889年(明治22年) - 町村制施行の際に小山村と合併して堺村が発足し、同村の大字・相原となった(明治の大合併)。

1893年(明治26年) - 神奈川県から東京府に移管され、同府南多摩郡堺村相原となる。

1958年昭和33年) - 堺村が町田町忠生村鶴川村と合併して町田市が発足し、同市の相原町となった。

2004年平成16年)4月1日 - 相原町の一部が新設された小山ヶ丘に分割された。


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