相原村
[Wikipedia|▼Menu]

この項目では、1889年?1941年に神奈川県に存在した自治体の相原村について説明しています。相模原市に現存の町名の相原については「相原 (相模原市)」を、東京都町田市の町名の相原町については「相原町」をご覧ください。

相原村
廃止日1941年4月29日
廃止理由新設合併
高座郡上溝町座間町、相原村、大野村大沢村
田名村麻溝村新磯村 → 相模原町
現在の自治体相模原市
廃止時点のデータ
日本
地方関東地方
都道府県神奈川県
高座郡
団体コード当時存在せず
総人口6,103人
(1940年10月1日)
隣接自治体神奈川県
高座郡大沢村上溝町大野村
津久井郡川尻村
東京府
南多摩郡堺村
相原村役場
所在地神奈川県高座郡相原村橋本
外部リンク当時存在せず
 表示 ウィキプロジェクト

相原村(あいはらむら)は、1889年(明治22年)から1941年(昭和16年)にかけて神奈川県高座郡に存在した町村制による自治体である。現在は相模原市緑区および中央区の一部である。
目次

1 概要

2 地理・歴史

3 沿革

4 教育

4.1 学校


5 交通

5.1 鉄道

5.2 バス


6 出身・ゆかりのある人物

7 脚注

8 参考文献

9 関連項目

概要

1889年(明治22年)4月1日、町村制の施行により高座郡相原村、橋本村、小山村、清兵衛新田が合併しして発足した。旧村を引き継ぐ4大字(相原橋本小山清兵衛新田)が編成され、村役場は橋本におかれた。

橋本村および小山村は江戸時代初期の1646年正保3年)に相原村から分村したものであり、清兵衛新田は天保年間末期に始まる新田開発によって小山村から分離したものなので、明治の大合併で発足した「相原村」は江戸時代初期の相原村を再現したものとも言える。ただし橋本村、小山村と同時に相原村から分村した下九沢村は明治の大合併に際して大沢村の一部となったので、明治の相原村の方が江戸初期の相原村よりも小さい。

境川をはさんで南多摩郡堺村(現町田市)と接し、当村西部の大字相原、橋本は同村の大字相原と、当村東部の大字小山は同村の大字小山と相対する。

1941年(昭和16年)4月29日、高座郡上溝町座間町大野村大沢村田名村麻溝村新磯村と合併して高座郡相模原町の一部となった。
地理・歴史

北に隣接する東京府南多摩郡堺村との境界をなす境川に沿って細長い氾濫原が広がるほかは、村域の大半を相模原台地が占め、両者の間に段丘崖が伸びる。古くからの集落はこの段丘崖の周辺に分布する。大山道(八王子往還、現国道16号旧道)が村域を南北に横断し、この街道に沿って橋本の旧集落が発達した。相模原台地上の平坦面は清兵衛新田など江戸時代末期以降の新田開発を経て畑地化され、昭和初期まで養蚕業の発展を背景に畑が全域に展開した。

1908年(明治41年)、東神奈川駅八王子駅を結ぶ横浜鉄道(現JR横浜線)が敷設された。当初は当村域内にはを設けずに通過するのみで、隣接する東京府南多摩郡堺村相原に当村も駅勢圏に想定した相原駅を設ける計画であったが、橋本地区を中心とする住民の運動により当村内の橋本に橋本駅を設置することが決まり、開通と同時に橋本・相原の両駅がともに開業した。橋本駅の開業により橋本地区は当村内だけでなく中野など津久井郡南部方面への玄関口として役割も担うようになり、大正後期以降のバス交通の発達とともに高座郡北部や津久井郡南部への路線バスが橋本駅から発着して神奈川県北部の交通結節点として発展することとなった。1931年(昭和6年)には相模鉄道(現JR相模線)が橋本まで延伸開業し、1932年(昭和7年)に同線上の清兵衛新田に大河原駅(相模町駅を経て現南橋本駅)が開業した。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:18 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef