直野資
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なおの たすく
直野 資
出生名京村 資
生誕 (1945-04-08)
1945年4月8日(79歳)
出身地 日本石川県
学歴東京藝術大学
パルマ・アリーゴ・ボーイト音楽院
ジャンルクラシック音楽
職業声楽家バリトンバス
オペラ歌手
音楽教育者
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直野 資(なおの たすく[1]、1945年〈昭和20年〉4月8日 - )は、日本の声楽家バリトンバス[2])、オペラ歌手、音楽教育者。旧姓:京村[3]
経歴

石川県出身[2]。東洋音楽大学付属高等学校(現:東京音楽大学付属高等学校)卒業[4]。1968年(昭和43年)[3]東京藝術大学音楽学部首席卒業[1]酒井弘に師事[3]。1969年(昭和44年)同大学院中退[3]

読売新聞社後援で4回のリサイタルと3回のジョイントコンサートを開催し毎回好評を得る[5]。ソニー新人賞受賞。

1972年(昭和47年) - 1975年(昭和50年)[6][4][3]イタリアへ留学。国立パルマ・アリーゴ・ボーイト音楽院を首席で修了[1]。ムジカ・ダ・カメラを主任教授のリタ・ビーニ・デヴォートに、オペラ演奏法をバスのサッサネッリに師事。またミラノテノールのレオニーダ・ベロンに発声を学ぶ[2]

オペラ・デビューは1979年(昭和54年)歌舞伎座での長門美保歌劇団プッチーニ蝶々夫人』のシャープレス[7]。1983年(昭和58年)からは二期会に登場、ブリテン夏の夜の夢』スターヴリング(仕立屋)アテネの職人が最初の役である。途中、一度1986年(昭和61年)東京室内歌劇場ブリテン『ノアの箱舟』神の声を担当しているが、1984年(昭和59年) - 1987年(昭和62年)は二期会レハールメリー・ウィドウ』クロモー(ポンテヴェドロ公使館員)のみを担当し、全国興行を行っている[7]

主役級を演じるのは1987年(昭和62年)二期会ロッシーニセビリアの理髪師』フィガロからである。1988年(昭和63年)二期会ビゼーカルメン』ダンカイロ。1989年(平成元年)二期会ヴェルディ運命の力』ドン・カルロ、同年の二期会ヴェルディ『椿姫』ジェルモンを好演し「ヴェルディ・バリトン」として評価が確立した。

その後の活躍はめざましく、1991年(平成3年)二期会40周年記念ヴェルディ『リゴレット』タイトルロール、同年の東京二期会プッチーニ『トスカ』スカルピア、1992年(平成4年)東京二期会『カルメン』エスカミリオ、1993年(平成5年)藤原歌劇団『椿姫』ジェルモンと次々に主役級をこなした。特にジェルモンは朝日新聞畑中良輔読売新聞三宅幸夫いずれも絶賛であった[2]。同年は東京二期会ヴェルディ『シモン・ボッカネグラ』タイトルロール、藤原歌劇団ヴェルディ『アイーダ』アモナズロ、日生劇場 松村禎三『沈黙』フェレイラも務め[7]ジロー・オペラ賞大賞を受賞している。

ブラジルサンパウロ市立歌劇場に招かれ、『トスカ』スカルピアを歌うなど国際舞台でも活躍。

以後ヴェルディ『イル・トロヴァトーレ』ルーナ伯爵、ウェーバー魔弾の射手』カスパール、プッチーニ『ジャンニ・スキッキワーグナーさまよえるオランダ人』ヴェルディ『ナブッコ』いずれもタイトルロール、レオンカヴァッロ道化師』トニオ、ヴェルディ『ルイザ・ミラー』(日本初演)ミラーなど、プリモバリトンとして活躍した。

1998年(平成10年)からは新国立劇場にも登場し、『蝶々夫人』『ナブッコ』プッチーニ『マノン・レスコー』レスコー、『沈黙』『リゴレット』『トスカ』と手中に収めたレパートリーを披露している[7]。2000年(平成12年)にはびわ湖ホール ヴェルディ『ジャンヌ・ダルク(ジョヴァンナ・ダルコ)』ジャルコにも進出。2001年(平成13年)二期会50周年記念ヴェルディ『ファルスタッフ』タイトルロールを務めるなど、オペラ・ブッファでも力量を示した。2002年(平成14年)新国立劇場では三枝成彰『忠臣蔵』大石内蔵助。2003年(平成15年)愛知芸術文化センターヴェルディ『仮面舞踏会』レナート、新国立劇場ヴェルディ『オテロ』イアーゴ、びわ湖ホール ヴェルディ『シチリア島の夕べの祈り』グイード・ディ・モンフォルテ。2004年(平成16年)新国立劇場 清水脩『俊寛』タイトルロール。2005年(平成17年)東京二期会『椿姫』、『ジャンニ・スキッキ』。2006年(平成18年)『蝶々夫人』、びわ湖ホール ヴェルディ『海賊』。2007年(平成19年)には金沢でも『椿姫』を演じている。2008年(平成20年)、2009年(平成21年)の『トスカ』、同年の『蝶々夫人』を最後に、一旦ステージから遠ざかる[7]

2003年(平成5年)の東京二期会『蝶々夫人』では公演監督補佐となり、スタッフ側の役目を始める。2008年(平成10年)金沢の『カルメン』で音楽監督、プッチーニ『ラ・ボエーム』で公演監督。2010年代からは専ら公演監督を務める[7]

2017年(平成29年)2月の東京二期会・ローマ歌劇場との提携公演『トスカ』スカルピアで久しぶりにステージに復帰し、変わらぬ声を聴かせた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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