直訴
[Wikipedia|▼Menu]

直訴(じきそ)とは、

日本中世近世において一般民衆(農民町人)や下級武士が、手続きを無視して直接将軍や幕閣などに訴状を渡す行為

中国における、中央政府への陳情制度

のこと。

日本では、近世の直訴を元にした比喩的な用法から転じて、周囲への相談や根回しなしに、権力者や責任者に直接談判を行なうことも指すようになった。
日本
中世

鎌倉幕府御家人竹崎季長元寇の論功行賞に不満を抱き幕府へ直訴を行い恩賞を得た、その経緯は自らが作成させた蒙古襲来絵詞に収録されている。
近世.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

この記事は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方
出典検索?: "直訴" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2014年2月)

以下では、近世の直訴について述べる。
概要

近世において一般民衆(農民町人)や下級武士を原告とした訴訟は、原則的に所轄の奉行所などが取り扱うこととなっていた。この原則を回避して直接、将軍や幕閣に訴える行為を直訴と呼んだ。また、本来の手続きや担当者を「飛び越して」行なわれることから、越訴(おっそ、えっそ)とも言われた。その方法として外出中の駕籠に駆け寄る方法を取ることも多く、それを駕籠訴(かごそ)と言った。訴えの目的はさまざまあるが、たとえば年貢率の問題など、奉行所などでは解決できない問題についての訴えをする場合や、領主代官の非を訴える場合などがあった。

近世における百姓一揆の形態の変遷の中、初期(17世紀)は佐倉惣五郎の越訴事件などを代表とする、直訴によるものが中心であり、これを「代表越訴型」の一揆と呼んでいる[1]

明治以降にも、足尾銅山鉱毒事件で、田中正造明治天皇に直訴をしようとしたことが知られている。彼は当初は裁判等の遵法的な手段で反対運動を行ったが、様々な妨害に遭い、最後の手段として天皇への直訴を選んだ。
あり方

世間に流布された直訴のイメージは年貢の減免や悪代官などの不正を農民が訴えるなどという今日の行政訴訟に該当する事案がほとんどであったように誤解されている。しかし実際には民事、刑事、行政それぞれの訴訟分野で直訴が行われていた。これは近世の訴訟手続き上一般民衆が訴えを提起するには所属する町や村の役人の同意が必要とされていたことに起因している。例えば江戸町民を原告とする民事事件ではまず最初に原告が所属する町役人に事件の相談を行う。相談を受けた町役人は被告側の町役人経由で調停を行いその結果町役人が調停による解決が不可能であると判断して初めて町奉行所に訴えを提起することができた。いわゆる現在でいうところの調停前置制度である。この町役人の調停に当事者が不満を抱いた場合『町役人が怠慢で真面目に活動していない』あるいは『相手方と結託してこちらに不利な調停を行っている』などの理由を挙げて町役人の同意なしに『直ちに訴訟を受け付けて欲しい』として直訴が行われた。また町民側の調停力、裁判権が及びにくい武家や寺社などの特権階級を相手方とする民事事件でも直訴が行われた。この場合には幕閣のみならず相手の武家の上役や親類筋などにも直訴が行われた。そして刑事事件においても再審理や刑の減免などを願う駕籠訴が行われており、上述のように民事、刑事、行政それぞれの訴訟分野で直訴が行われていた。旧事諮問録に収録されている元評定所留役の小俣景徳の談話によると「越訴(直訴)は毎日二、三人あった」とされており直訴は特別な行為では無く日常茶飯事であった事がうかがわれる。またそれらの訴状の取り扱いは「不法行為ではあるが事柄によっては取り上げられることもありましたが殆んどは廃棄されました」と述べており、正規の手続きを経ていない直訴であっても訴えの内容を確認した上で受理・不受理を決定していた事がうかがわれる。また桜田門外の変でも襲撃者が直訴(駕籠訴)の訴人を装い待ち伏せをしており直訴が日常茶飯事であったことがうかがえる。
その作法

直訴はある程度作法化されており、例えば駕籠訴では以下のようになっていた。

訴人は紋付羽織で正装し、訴状は「上」と上書きした紙に包み、先を二つ割にした青竹の棒の先に挟んで持つ。始めに行列前方より訴状を捧げて訴人が行列に接近しようとする、すると供侍がこれを制止する、訴人は制止されても諦めず再度接近しようとする、供侍はまたこれを制止する、それでも訴人は諦めずにみたび接近しようとする。そこで初めて供侍は『再々にわたるので仕方なく』として訴状を受け取り、供頭に訴人の身柄を拘束するように指示を行う。この時訴人の身柄が拘束されるのは訴状の内容や訴人の身許などの事実関係を確認する事情聴取のためであり、訴人を処罰するためのものではない。事情聴取が終わり身許が確認され訴状の内容に虚偽など問題がなければ訴人は解放される。この時農民であれば領主が身許引き受け人として引き取ることになる。勿論受け取った領主側で更に事情聴取が行われるがいきなり問答無用で処罰などということはなかった。処罰などをした場合は農民を引き渡した側の体面を潰すことになるからである。訴状を受け付けた側には積極的に介入し能動的に事件解決にあたるというまでの義務はなかったが、関係方面に照会を行い必要と認めれば善処方を要請する程度のことは行われた、これにより事件が明るみにでることになり関係者は適切な対応をする必要に迫られることになった。また事件がもみ消されるのを防ぐために複数の方面に対し直訴を行うという訴訟戦術もしばしば採用されていた。
直訴は死罪か

直訴はすべて原告が死罪と確定しているものと広く認識されているがこれは誤解である。直訴行為自体が処罰対象となったケースは少ない。領主や代官の非を訴えた場合であっても、これといった処罰はなく「正規の手続きに従うように」という口頭注意くらいであった。処罰されたケースでは『直訴の内容が不届きであった』あるいは『徒党を組んで騒動を起こし狼藉を働いた』などという直訴行為そのものを対象としない処罰理由がほとんどである。例えば天保11年の三方領知替えでは庄内藩転封に反対する領民により多数の直訴が行われた。大名の転封という幕府の政策に反対する直訴であるにもかかわらず直訴をした領民に対する処罰は無かった。徳治主義が標榜されていたため、民の声である直訴を拒絶することは不徳とみなされていたのである。しかし、明治以後の自由民権運動のなかで義民伝説が数多く伝えられたことから、直訴=死罪という誤解が浸透していったものと考えられる。
代表的な直訴事件

この節の加筆が望まれています。


佐倉惣五郎佐倉藩)-承応2年(1653年)上野寛永寺で将軍家綱に直訴

杉木茂左衛門沼田藩)-天和元年(1681年

小松三郎左衛門諏訪藩)-延宝6年(1678年)信濃国諏訪藩の不当な裁許をくつがえそうと江戸へ直訴しようとして処刑された。

多田加助貞享騒動)(松本藩)-貞享3年(1686年

近代以後

田中正造足尾鉱毒事件)(1901年

田中守平(上奏事件)(1903年

北原泰作(閲兵式で軍隊内での被差別部落出身者に対する差別の存在と待遇の改善を昭和天皇に直訴)(1927年

児玉誉士夫(天皇直訴事件)(1929年

山本太郎天皇(当時)に園遊会にて手紙を直接渡した)(2013年

中国

以下では、中国における中央政府への陳情制度について述べる。
中国の概要

中国の直訴は、信訪条例によって定められている。中国の政治体制は一党独裁制で、民意が反映されにくい。その中で、直訴は苦情申し立て、被害救済制度として民衆に利用されてきた[2]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:24 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef