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目黒駅
西口(2007年4月)
めぐろ
Meguro
所在地東京都品川区上大崎
所属事業者
東日本旅客鉄道(JR東日本・駅詳細)
東急電鉄(駅詳細)
東京地下鉄(東京メトロ・駅詳細)
東京都交通局(駅詳細)
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正面口(2018年1月)
目黒駅(めぐろえき)は、東京都品川区上大崎にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東急電鉄(東急)・東京地下鉄(東京メトロ)・東京都交通局(都営地下鉄)の駅である。
所在地は目黒区ではなく品川区であり(後述)、同区最北端の駅である。なお、目黒区にある駅で「目黒」を駅名に冠する駅は、中目黒駅である。 以下の4社局4路線が乗り入れ、相互間の接続駅となっている。 東急・東京メトロ・都営地下鉄の駅は、目黒線と南北線および三田線の間で相互直通運転を行っている。3社局の路線が乗り入れる共同使用駅で東急の管轄となっている。3者の乗り入れで1者が管轄する珍しい事例の共同使用駅である。 また、南北線と三田線は、当駅から白金高輪駅までの区間で駅・線路設備を共用している。当該区間については、南北線を運行する東京メトロが第一種鉄道事業者として施設を保有しており、三田線を運行する東京都交通局は第二種鉄道事業者となる。
乗り入れ路線
JR東日本: 山手線 - 電車線で運行される環状線としての山手線電車のみが停車し、線路名称上は山手線である山手貨物線を走行する埼京線・湘南新宿ラインの列車は停車しない。また、特定都区市内制度における「東京都区内」および「東京山手線内」に属している[1]。駅番号「JY 22」
東急電鉄: 目黒線 - 当駅が起点。下記2路線および2023年より相模鉄道各線と相互直通運転が行われている。かつては「目蒲線」と称していた。駅番号「MG01」
東京メトロ: 南北線 - 当駅が起点。開業当初から多くの列車が赤羽岩淵駅から埼玉高速鉄道線への直通運転を実施している。駅番号「N 01」
都営地下鉄: 三田線 - 当駅が起点。駅番号「I 01」
歴史目黒駅周辺の白黒空中写真(1963年6月26日撮影)
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス
1885年(明治18年)3月16日:日本鉄道の駅として開業[2][3]。旅客営業のみ。
1906年(明治39年)11月1日:日本鉄道が国有化、国有鉄道の駅となる[2]。
1909年(明治42年)10月12日:線路名称制定により山手線の所属となる。
1923年(大正12年)3月11日:目黒蒲田電鉄(現在の東急)の駅が開業[3][4]。
1929年(昭和4年):目蒲線目黒駅に東横第2食堂が開設される[3]。
1936年(昭和11年):目蒲線駅舎が木造モルタル造2階建てに改築[3]。
1942年(昭和17年):目蒲線ホームが3両編成対応になる[3]。
1953年(昭和28年)12月12日:目蒲線駅舎が鉄筋コンクリート造地上2階・地下1階建てに改築[3]。
1965年(昭和40年)10月1日:国鉄駅において手荷物及び小荷物を東急線方面との連絡のものに限定、配達の取り扱いを開始[2]。
1967年(昭和42年)
4月1日:目蒲線ホームが4両対応に延伸され、3番線が廃止される[3]。
11月25日:国鉄の目黒駅が民衆駅として改築[新聞 1]。
1968年(昭和43年)2月:目蒲線に券売機と改札機が一体となった「自動券売改札機」を設置[新聞 2]。
1984年(昭和59年)2月21日:国鉄と東急線の連絡荷物の取り扱いを廃止[2]。
1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、国鉄の駅は東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅(山手線所属)となる[2]。
1990年(平成2年)6月2日:JRの駅に自動改札機を設置[5]。
1991年(平成3年)
4月23日:目蒲線目黒駅地下化の起工式を実施[6]。
4月:東急目蒲線の地下化工事に着手[7]。
11月15日:目蒲線のダイヤ改正により、当駅の折り返し用分岐器を約500 m不動前駅寄りに移設[7][8]。