目黒蒲田電鉄
[Wikipedia|▼Menu]

目黒蒲田電鉄
種類株式会社
本社所在地 日本
東京府東京市渋谷区大和田町1[1]
設立1922年(大正11年)9月2日[1]
業種鉄軌道業
事業内容旅客鉄道事業、電力供給事業、不動産 他[1]
代表者社長 五島慶太[2]
資本金17,001,000円(払込額)[2]
発行済株式総数600,000株[2]
(内新株186,825)[2]
(〃目蒲運輸合併新株247,000)[2]
主要株主

第一生命保険 79,500株[2]

目蒲興業 60,835株[2]

緒明圭造 55,675株[2]

服部合資 40,000株[2]

服部玄三 39,965株[2]

松浦由太郎 22,814株[2]

大正生命保険 14,242株[2]

篠原三千郎 11,235株[2]

第一徴兵保険 9,594株[2]

帝国生命保険 6,555株[2]

五島慶太 6,263株[2]

特記事項:上記データは1938年(昭和13年)現在[2]
テンプレートを表示

目黒蒲田電鉄株式会社(めぐろかまたでんてつ)は東急電鉄の前身の鉄道会社。姉妹会社であった(旧)東京横浜電鉄を吸収合併したのち名称を逆に(新)東京横浜電鉄と変更[3]し、現在の東急電鉄へと発展した。法人格は東急株式会社が引き継いでいる。

なお、目黒蒲田電鉄と(旧)東京横浜電鉄はともに設立当初より五島慶太が専務取締役に就任、経営も関連しているが、会社の発展を見やすく提示するためにそれぞれを独立したページとして記述する。
概要

目黒蒲田電鉄は、1918年に実業家渋沢栄一らによって立ち上げられた『理想的な住宅地「田園都市」の開発』を目的とする田園都市株式会社が進めていた鉄道事業を受け継いで、1922年(大正11年)に子会社として分離・設立された。設立当初の株主は7万株中68000株を田園都市会社が保有し残り1000株を武蔵電気鉄道取締役会長の郷誠之助が、1000株を田園都市会社及び目黒蒲田電鉄の役員がそれぞれ保有していた[4]。設立当初から五島慶太が専務取締役に就任し、会社を取り仕切った。

会社はまず、1923年に目黒-蒲田(13.2km)の鉄道を全通させ、目蒲線と呼称した。同年9月に発生した関東大震災により路線、建物に被害を受けたが、一方被災民が沿線に移住することになり沿線人口が急増し順調なスタートを切った。また小山駅前に府立第八中学校、大岡山駅前に東京高等工業学校が開校して旅客数は増加していった[5]。ついで 1926年に大井町線を着工し、部分開通を繰り返した後、1929年に大井町-二子玉川(10.3km)を全通、大井町線と呼称した。その間、1928年に親会社である田園都市(株)を吸収合併し、「田園都市」開発事業を引き継いだ。さらに1933年には池上電気鉄道を傘下におさめ、翌1934年にこれを合併して、編入した五反田-蒲田(10.9km)を池上線と呼んだ。

1939年に姉妹会社である(旧)東京横浜電鉄を吸収合併ののち、社名を逆に「(新)東京横浜電鉄」と変更したため、目黒蒲田電鉄の名称はなくなった。
沿革
前史

1910年(明治43年)6月22日 - 武蔵電気鉄道(資本金350万円)設立[6]、後の(旧)東京横浜電鉄、現在の東横線の母体

1918年(大正7年)9月2日 - 田園都市株式会社(資本金50万円)社長に中野武営、相談役に渋沢栄一就任[7]。しかし、1か月後に中野が急死し、社長職を空席としたまま、専務の竹田政智(渋沢の娘婿)が代表取締役として運営に当たる[7]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:54 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef