目黒学院中学校・高等学校
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度38分39.8秒 東経139度42分9.9秒 / 北緯35.644389度 東経139.702750度 / 35.644389; 139.702750
目黒学院中学校・高等学校(めぐろがくいんちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都目黒区中目黒にある私立中学校・高等学校。 目黒学院理事長の関口隆司が校長を務める。土地が限られており、校庭が狭いため体育の授業の際は、学校の近隣にある第二グラウンドや体育館、記念館を利用し、部活動の際はこれらの場所以外に外部の施設などを借りて練習を行っている。サッカー部は第二グラウンドで活動できるものの、野球部は神奈川県川崎市中野島に所在する中野島グランドまで行って活動している。中高一貫校舎にはイングリッシュカフェが備えられ、内部には来客用の洋風なテーブルとソファーが設置されている。中央には世界都市の時刻が分かるガラス張りの電子時計がある。 2011年度から中高共に共学に移行した。しかし、2011年度の高等学校の入学試験では募集人員のおよそ半数を占める「特進コース」でのみ男女を募集しており、その他の「総合コース」「体育コース」では男子のみを募集した[1]。中学校・高等学校一貫コースの入学試験では、すべての試験回において男女を募集している[2]。かつては都立目黒高校と区別する為、都立目黒高校を「鳥目」私立目黒高校を「尻目」と呼ばれていたが目黒学院に校名を変更して以降は呼ばれなくなった。 中高一貫生と高入生は関わりが少なく、行事も異なる。 同じ行事でも場所や日時がそれぞれ異なる場合がある。 ラグビー部はかつて花園で「目黒-久我山」時代を築き、梅木恒明監督指導の下、選手権優勝5回の実績を残すなど全国大会で実績を上げていた。 他に陸上、弓道、空手道、ゴルフ、相撲、水泳、フィギュアスケート、囲碁将棋などの部が全国大会優勝を果たしている[3]。 中高一貫と高入生の制服は統一されている。 制服はブレザー(冬服・夏服はそれぞれ、中学生はYシャツ・半袖Yシャツ、高校生はYシャツ・半袖Yシャツ)であるが、ネクタイは紺色に統一。体操着・靴や生徒手帳もそれぞれ学年色である。 毎年、会報「桐」を発行。総会は3年ごとに開催。
概要
沿革
1940年 - 東京機械工科学校として創立。
1948年 - 学制改革に伴い目黒高等学校と改称、普通科を併置。
1995年 - 学校法人目黒学院に改称、目黒学院中学校開校。
1998年 - 目黒学院高等学校に改称。
2011年 - 目黒学院中学校・目黒学院高等学校が共学になる。
学校行事
名称が共通する行事
梧林(ごりん)祭(学園祭)
球技大会
芸術鑑賞会
中高一貫コース
体育祭(全学年)
球技大会(1・2・3年)
新入生オリエンテーション(1年)
サマーキャンプ(1・2年)
USセミナー(3年)
スキー教室(3・4・5年)
アジアセミナー(4年)
全国高校生自然環境サミット(4、5年)
高入生コース
国際交流ニュージーランドのシャリーボーイズ高校と姉妹校提携を結んでおり、例年5月にはシャリーボーイズ高校の生徒が目黒学院を訪問し、目黒学院の生徒の家にホームステイする。また、例年7月には目黒学院の生徒がシャリーボーイズ高校を訪問、ホームステイやファームステイをする。
オーストラリア語学研修
サマーキャンプ
ウィンタースポーツ
陸上記録会
部活動
制服
同窓会
著名な出身者
青木義朗(俳優)
逆鉾昭廣(元大相撲関脇・後に井筒親方)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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