盛明親王
時代平安時代前期 - 中期
生誕延長6年(928年)
薨去寛和2年5月8日(986年6月17日)
改名源盛明 → 盛明親王
官位四品、上野太守
(臣籍時)正四位下、大蔵卿
父母父:醍醐天皇、母:源周子
盛明親王(もりあきらしんのう)は、平安時代前期から中期の皇族。醍醐天皇の第十五皇子[1]。臣籍降下時は源 盛明を名乗る。官位は四品・上野太守。 朱雀朝の天慶5年(942年)元服し、ほどなく従四位上に直叙されたと想定される。村上朝では大蔵卿を務め、位階は正四位下に至った。 康保4年(967年)冷泉天皇の践祚後まもなく、親王宣下されて四品・上総太守に叙任される。円融朝初頭の安和2年(969年)安和の変が発生し、同母兄の左大臣・源高明が失脚するが、盛明親王は連座を逃れたと見られる。またこのころ、上野太守に任ぜられると、10年ほどに亘ってこれを務めた。 寛和2年(986年)4月28日に出家し、5月8日に薨去。享年59。 勅撰歌人として、『後撰和歌集』(1首)以下の勅撰和歌集に6首の和歌作品が採録されている[2]。
経歴
官歴
天慶5年(942年) 12月22日:元服[1]
時期不詳:従四位上?(直叙)
天暦7年(953年) 10月28日:見大蔵卿[3]
康保4年(967年) 6月22日:親王宣下、元大蔵卿正四位下[1]。7月5日:四品[1]。7月:見上総太守[4]
安和2年(969年) 9月23日:見上野太守[5]
天元2年(979年) 3月:見上野太守[6]
寛和2年(986年) 4月28日:出家(四品)[1]。5月8日:薨去[7]
系譜
父:醍醐天皇
母:源周子
妻:菅原在躬の娘
男子:源則忠(教忠?)(?-1004)
生母不詳の子女
男子:斯忠王
養子女
養女:源明子(965-1049) - 源高明の娘、藤原道長室
脚注^ a b c d e 『日本紀略』
^ 『勅撰作者部類』
^ 『九暦』
^ 『大日本史』
^ 『天祚礼祀職掌録』
^ 『本朝文粋』10
^ 『一代要紀』
参考文献
宮崎康充編『国司補任 第三』続群書類従完成会、1990年
『尊卑分脈 第三篇』吉川弘文館、1987年