益田直也
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益田尚哉」とは別人です。
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益田 直也千葉ロッテマリーンズ #52
2012年3月22日 QVCマリンフィールド
基本情報
国籍 日本
出身地和歌山県那賀郡貴志川町
(現:紀の川市
生年月日 (1989-10-25) 1989年10月25日(34歳)
身長
体重178 cm
80 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション投手
プロ入り2011年 ドラフト4位
初出場2012年3月30日
年俸2億円(2024年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


和歌山市立和歌山商業高等学校

関西国際大学

千葉ロッテマリーンズ (2012 - )

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■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

益田 直也(ますだ なおや、1989年10月25日 - )は、和歌山県那賀郡貴志川町(現:紀の川市)出身のプロ野球選手投手)。右投右打。千葉ロッテマリーンズ所属。

NPBにおける、新人最多登板記録、新人最多ホールド記録保持者[2]
経歴
プロ入り前

もとはサッカーがしたかったが、友達に誘われて西貴志小学校2年時から野球を始める[3]。一時は和歌山リトルリーグに所属。「西貴志レッドボーイズ(現・西貴志ドリームス)」に入団し6年生ではエースを任される[3]貴志川中では軟式野球部に所属[4]。練習に明け暮れた小・中学校時代で投球の基礎を培っていった。

市立和歌山商業高校時代は内野手、主に遊撃手の控えとしてプレー。2学年上には川端慎吾、同級生に川端友紀がいた。3年夏は和歌山県予選準決勝で敗退。甲子園出場経験は無し。内野手をやっていたのは、高校1年の健康診断で心臓に穴が空いていることが発覚し、当時の監督が出来るだけ身体に負担がかからないようにするに転向させたためで、益田本人は投手志望だったという[5]

高校卒業後はセレクションを受けて関西国際大学に進学。入学後に投手に転向し、2年次の春からリーグ戦に登板する。第58回全日本大学野球選手権大会では準決勝の法政大学戦で2番手として登板、3回2/3を1失点に抑えた。これを機に中継ぎ投手に昇格する[6]

3年次の冬から4年次の春にかけて、腰のキレを良くするため体幹を鍛え、ツーシームの精度を上げた。これが功を奏し、春のリーグ戦では優勝こそ逃したものの、先発・救援の両面で起用され13試合中11試合に登板し4勝、リーグトップの防御率0.75、48回で44奪三振を記録し、初のベストナインに選出された[7]。リーグ戦通算6勝5敗、防御率1.16。全国大会の出場経験は、2009年大学選手権と2009、2010年の明治神宮大会で登板。

2011年ドラフト会議では、千葉ロッテマリーンズから4位指名を受け、11月18日に関西国際大学三木キャンパスにおいて仮契約した[8]背番号は52。
ロッテ時代

2012年はオープン戦で結果を残し[9]、同期入団投手の藤岡貴裕中後悠平とともに開幕を一軍で迎えた[注 1]東北楽天ゴールデンイーグルスとの開幕戦でプロ初登板を果たすと[11]、翌3月31日の同カードではプロ初ホールドを記録[12]。ルーキーながら開幕からセットアッパーを任され、4月4日の埼玉西武ライオンズ戦では開幕戦から4試合連続登板。『開幕戦からチーム4試合すべてに登板した新人投手』はドラフト制後チーム初であった[13]。その後もリリーフとして安定感抜群の投球を見せ、監督推薦でオールスターに初出場となり[14]、球宴第1戦に登板した[15]。8月5日のオリックス・バファローズ戦でプロ初セーブ[16]、同30日の楽天戦ではプロ初勝利も挙げ[17]、ルーキーイヤーは72試合に登板し、2勝2敗41ホールド1セーブ・防御率1.67を記録。林安夫大原慎司が持つ新人最多登板記録(71試合)、攝津正が持つ新人最多ホールド記録(34ホールド)を共に更新し[2]、チームとしては久保康友以来7年ぶりとなる新人王を受賞した[18][注 2]。オフに球団のルーキー史上最高となる3000万円アップ、推定年俸4200万円で契約を更改した[20]

2013年は春季キャンプ直前に突発性気胸を発症していたことが発覚し[21]、キャンプ序盤は出遅れたものの、無事に復帰し[22]、前年クローザーを務めた薮田安彦が怪我により開幕二軍スタートになったため、開幕からクローザーを務めた。


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