皿鉢料理
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

この記事は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方
出典検索?: "皿鉢料理" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2014年6月)
大皿には鯵の姿鮨と四万十の鮎、羊羹、果物など。小さい方には緑の薬味に覆われたカツオのたたき

皿鉢料理(さわちりょうり)とは高知県郷土料理である。また近年では、大ぶりの皿に刺身などを盛り合わせた宴席料理を指して「皿鉢料理」と言う場合もある。
料理としての起源

農耕儀礼として行われていた五穀豊穣の祈願祭や収穫を感謝する収穫祭には、神前に様々な食材が供えられた。神事の後それら供えられていた食材をおろし、御厨(みくりや)などで神饌として調進した。できあがった料理は神に供えられるだけでなく、神事に参加した者も共に分かち合って食べた。この神と人が共食する酒宴を直会(なおらい)と言い、神と人が共に嘗め合う神事の一つであり、重要な儀式とされていた。こういった伝統を受け継ぐ料理は、明治の中頃まで鉢盛り料理や盛り鉢料理とも言われ、日本全国に残っていた。
皿鉢(サハチ)の由来

皿鉢とは皿と鉢の中間的な形態のものを指す[1]。皿鉢は「さわち」以外にも、サハチ、サアチ、サラチ、サーチとも言われている。現代の皿鉢の源流である器は室町時代から作られていた。当時の器は比較的深みのある高坏で、浅鉢・深鉢・大皿・大鉢など器に合った名称で呼ばれていた。それらの器が皿鉢と総称され始めたのは江戸時代だと考えられている。土佐藩(現在の高知県)の禁令などに「砂鉢」や「皿鉢」と記されており、その他「佐波知」や「沙鉢」と当て字された記録もある。
器の種類

形状は円形ばかりでなく、小判型や矩形など様々で料理に合わせて使用されている。9寸(約27センチ)程度の小ぶりな器もあるが、今日では活け作り以外の皿鉢では一尺三寸(39センチ)がほぼ標準となっている。あまり小さな器は皿鉢と言わなくなっているものの、明確な区分は設けられていない。
皿鉢の大きさ


一尺二寸(36センチ)

一尺三寸(39センチ)

一尺五寸(45センチ)

一尺八寸(54センチ)

二尺(60センチ)

二尺三寸(69センチ)

三尺(90センチ)
三尺を越える大皿は非常に高価で、料理には用いられず家宝的な扱いとなっているものもある。

また、食卓が普及してからはそれに並べられる事が多い皿鉢だが、かつては皿鉢一枚ずつを「物据(ものすえ)」という皿鉢専用の塗り物の台に置いて座敷に並べられていた。
皿鉢料理の歴史

神事の際の儀式食が発展した皿鉢料理は、日常に食べるものではなく行事食であり「晴れ食」であった。旧家の日記や目録には江戸時代の行事食の献立として皿鉢と記されたものが散見できる。当時は正式な儀式食である本膳料理の前後に供されていたようで、宴を彩るため、あるいは格式張らない宴席のために用いられたと考えられている。

ただ、江戸時代は「剛健質素」を藩是とした土佐藩の藩政下にあり、延宝2年(1674年)、延享5年(1748年)、明和5年(1768年)、安政4年(1857年)には、売買と使用を禁止する藩令も出されており、皿鉢は贅沢品と見なされ庶民には無用の物とされていた。当時の記録にある皿鉢料理は、武家をはじめ豪商や豪農など一部の階級の者の宴席料理であったと言う指摘もある。

明治時代になると皿鉢の売買も自由になり、封建的な身分制度の廃止も伴って皿鉢料理は庶民にも浸透し、大きく発展した。現代の皿鉢料理に見られるような、何種類もの食材を盛り合わせた「組み物」や、盛り数を「七、五、三」の奇数にするといった形式は、この時代に始まったと言われている。また、明治中期頃には皿鉢料理の仕出し屋の草分けとも言える店舗が構えられた。明治から大正にかけての仕出し店は、仕入れた魚を持って得意先を回り、家々で皿鉢料理を作るといったものだったが、大正時代後期からは現在のような出前を主とする仕出し店が増えていった。昭和30年代になると皿鉢料理の専門仕出し店が高知県下全域に広がり、食生活の洋食化もあって今日では伝統的な郷土料理とやや趣を異にする、華やかな宴席料理としての皿鉢料理が主となっている。

明治期以降から昭和にかけて、皿鉢料理は土佐の郷土料理として庶民の中に深く定着していった。同じ行事食ながら形式を重んじる本膳料理ではなく、皿鉢料理が受け継がれてきた理由として、共に料理を作る事で互いへの慰労を示し、一つの皿の料理を分け合って食べる事により連帯意識や仲間意識が養われるなど、地域や村落が共同生活を営む上でも極めて有用な「晴れ食」であった事などが挙げられている。
皿鉢料理の基本刺身(高知の人間は「なま」と呼ぶ)の皿鉢

高知では刺身を生(なま)と言い、生(なま)を盛った皿鉢と「組み物」の皿鉢、さらに「すし」の皿鉢を加えた三枚が皿鉢料理の一応の基本とされている。宴席が祝宴の場合にはこれに「鯛の活け作り」などが加わる。また季節の皿鉢として、鰹のたたきの皿鉢、鰤のぬたの皿鉢、夏場であれば「そうめん」の皿鉢などが加わる事もある。その上に「組み物」の皿鉢が二枚三枚と加わる事もあれば、少人数の宴席の場合は生(なま)を盛った皿鉢と、「組み物」の皿鉢に「すし」を盛り込んだ二枚で供される事もあり、人数に合わせて臨機応変に供されている。
生(なま)ドロメ:各自が皿に取り酢味噌で食す。これをゆでて干せばちりめんじゃこになる

活魚の刺身を、皿一面並べるのが基本とされていた。「はつ」(キハダマグロまたはメバチマグロ)の赤身の刺身や、春には「ドロメ」(鰯の稚魚)が夏には「ないらげ」(カジキマグロ)の刺身が並ぶ事もあった。季節になれば鰹のたたきが加わり、そのほかシイラや鰤、鯛やカレイなども用いられている。

また、不祝儀の際の生(なま)は活魚の刺身を使わず、豆腐の刺身が用いられていた。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:17 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef