皇帝に捧げた命
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イヴァン・ビリビンの表紙絵による『皇帝に捧げた命』のリブレット(1906年).mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ポータル クラシック音楽

『皇帝に捧げた命』(こうていにささげたいのち、Zhizn za tsarya, ロシア語: Жизнь за царя)は、19世紀ロシア作曲家ミハイル・グリンカ(1804年 - 1857年)が作曲したオペラリブレットは、ローゼン男爵ほかによる。当初の題名はオペラの主人公の名前から『イヴァン・スサーニン(Ivan Susanin)』とされていたが、献呈を受けたロシア皇帝ニコライ1世が返礼としてこのように名付けた[1][2]
概要

全5幕、または4幕とエピローグからなる。従来のジングシュピール(台詞付き歌芝居)の域を脱したロシア初の本格的オペラとして画期をなす作品であり、1836年の初演以来、ロシアのオペラ劇場で恒久的なレパートリーとして定着した[3][2]

物語は17世紀初頭のロシアが舞台。ロマノフ王朝の祖となった皇帝ミハイル・ロマノフポーランドの干渉軍から守るため、農夫のイヴァン・スサーニン(英語版)が自身を犠牲にするという伝説的なエピソードを描く[2]。ロシア農民を国民の中に位置づけるのは、ニコライ1世時代のイデオロギーである「官製国民性」に基づくものであり、これを歌詞の面からも音楽の面からも正面から取り上げ、成功させた作品である[2]

下って20世紀ソビエト連邦時代には、セルゲイ・ゴロデツキーの新しい歌詞によりプロローグと4幕のオペラ『イヴァン・スサーニン』として1939年に初演された[1][2]
作曲の経過36歳ごろのミハイル・グリンカ(1840年)

グリンカは健康が優れず、暖かい気候が必要との医師の薦めにより1830年からイタリアドイツに旅行した。イタリアではミラノローマナポリに滞在してヴィンチェンツォ・ベッリーニガエターノ・ドニゼッティに会ってイタリア・オペラを研究し、1833年からはベルリンジークフリート・デーン音楽理論を学んだ。1834年5月、父の死の知らせを聞いたグリンカはロシアに4年ぶりに帰国する[4][5]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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