皇居
[Wikipedia|▼Menu]

皇居
The Imperial Palace
皇居正門石橋

分類宮殿御所宮内庁宮中三殿など皇室関連施設の収容地
所在地 日本東京都千代田区千代田1番1号[1]
面積〈宮内庁管理部分〉
約1.15?
〈総面積(皇居外苑含む)〉
約2.30?
前身江戸城、宮城(皇居の旧称)
現況皇居
事務所宮内庁管理部
事務所所在地東京都千代田区千代田1番1号
公式サイト皇居(宮内庁)
テンプレートを表示

皇居(こうきょ)は、日本天皇及び皇族居所

日本東京都千代田区南部に位置し、宮内庁千代田1番に所在する[1]。総面積は千代田区の約2割に相当する。

1868年の改称(江戸城→皇居)より今日まで皇居と呼ばれる。

但し1888年より1948年までは宮城(きゅうじょう)と公称されていた[2]。また皇城(こうじょう)や皇宮(こうぐう)などとも称せられた。

1948年の宮内庁告示に伴い「皇居」と再度呼ばれるようになった[3]
概要

以前は宮城と公称されていたが、第二次世界大戦後に廃止され[4]、現在は特別史跡江戸城跡」一帯を指して皇居と呼んでいる。公式の英語表記は「The Imperial Palace」である。天皇の平常時の住居である「御所」や各種公的行事や政務の場である「宮殿」、宮内庁庁舎などがある。詳細は「#明治時代以後」を参照

平安京への遷都794年延暦13年〉)から東京奠都1869年明治2年〉)までは京都にあり、御所(ごしょ)[注釈 1]禁中(きんちゅう)、禁裏(きんり)、内裏(だいり)などと呼ばれていた。現在の京都御所京都市上京区)は、もとは里内裏として用いられ(後述の「#皇居・宮の歴史」参照)、南北朝時代以後は正式な御所となっていたもので、明治維新後の東京行幸に伴い留守となり使われなくなったが、荒廃した御所の様子を嘆いた明治天皇の指示により、隣接する京都仙洞御所京都大宮御所とともに保存された。なお、行幸後に首都機能が東京に移った際、明確な遷都の法令が発せられなかったので、京都御所を現在も皇居とみなす向きもある(詳細は「東京奠都」を参照)。しかし明治以降、京都御所に近代的居住機能が付加されることはなく、平安時代の様式を伝える最高格式の紫宸殿(正殿)や日常生活の場である常御殿などが保存され、文化財となっている。

皇居の呼び名は、史料や古典文学に登場するものの現在では使われない表現を含めると様々ある。内裏、御所、大内(おおうち)、大内山、九重(ここのえ)、宮中(きゅうちゅう)、禁中(きんちゅう)、禁裏、百敷(ももしき)、紫の庭(むらさきのにわ)、皇宮(こうぐう)、皇城(こうじょう)、宮城、大宮、雲の上、雲居など非常に多い。
現在の皇居

東京の皇居近辺の航空写真
2019年撮影
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

明治以降の皇居は、幕末まで徳川将軍家が居城としていた江戸城跡にある。江戸城の内郭(内堀内)には、本丸二の丸三の丸西の丸のほか、西寄りの部分には「吹上」と呼ばれる庭園があった。「吹上」はかつては屋敷地であったが、明暦の大火1657年明暦3年))以降、火除け地として、建物が建てられないようになっていた。

皇室関連施設のうち、宮殿宮内庁庁舎などは旧西の丸に位置するが、天皇の住まいである御所は江戸城の「吹上」、現在の「吹上御苑」に建てられている。旧西の丸と吹上御苑は道灌堀という堀で隔てられている[注釈 2]。皇居と呼ばれる区域は、旧西の丸地区・吹上御苑と皇居東御苑からなる宮内庁の管理用地の区域を指す場合と[5][6]、この区域に環境省管轄の皇居外苑を加えた区域を指す場合がある[7]

皇居は東京の代表的な観光名所であり、人工衛星パノラマ画像プログラムのGoogle Earthでは、世界のランドマークの一つとして登録されている。旧江戸城の本丸、二の丸、三の丸の一部分は皇居東御苑として、1968年昭和43年)10月1日以降、宮中行事に支障のない限り一般に公開されている[8]。皇居の制限エリアを一般人が訪問できる機会としては、「皇居一般参観」のほか、毎年1月2日と天皇誕生日に行われる「一般参賀」やが見ごろの4月初旬と紅葉が見頃の12月初旬に行われる「乾通りの通り抜け」などがある[9]。また、皇居の周囲を取り囲む12の濠()から成る皇居外周地区の歩道は、都心にありながら緑豊かな場所であり、ジョギング皇居ラン)や散策の場としても親しまれている[10]

皇居の宮内庁管理部分の住居表示は、東京都千代田区千代田1番1号(郵便番号100-0001)で[1]、居住していなくても登録できる本籍地として人気が高い住所になっている。また、国有財産としての皇居の価値は、2146億4487万円となっている(財務省資料に基づく、2009年5月時点)[11]
宮殿

宮殿(新宮殿)
宮殿東庭から見た長和殿
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}
情報
用途国事行為、皇室行事、外国元首歓迎行事 等
設計者吉村順三
施工宮殿造営工事共同企業体
建築主宮内庁
事業主体宮内庁臨時皇居造営部
管理運営宮内庁管理部
(宮殿管理官)
構造形式鉄骨鉄筋コンクリート造
(地下駐車場及び設備管制所は鉄筋コンクリート造
敷地面積64,640 m²
建築面積15,643 m²
延床面積35,789.89 m²
階数地上2階、地下1階
高さ20.19m
戸数7(正殿、豊明殿、長和殿、連翠、千鳥・千草の間、表御座所北棟、表御座所南棟)
駐車台数大型乗用車120台(東庭地下駐車場)
着工1964年(昭和39年)6月
竣工1968年(昭和43年)11月14日
開館開所1969年(昭和44年)4月
所在地100-0001
東京都千代田区千代田1
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度40分57秒 東経139度45分10秒 / 北緯35.68250度 東経139.75278度 / 35.68250; 139.75278 (宮殿(新宮殿))座標: 北緯35度40分57秒 東経139度45分10秒 / 北緯35.68250度 東経139.75278度 / 35.68250; 139.75278 (宮殿(新宮殿))


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:162 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef