皇太子献納車
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皇太子献納車『古河潤吉君伝』(1926年刊)中の写真[1][注釈 1]シカゴで撮影されたものとされる[3][2][4]
渡来時期1900年(明治33年)8月[5]
車種ウッズ(推定)(→#車種の特定
価格約3,100ドル※(約3万円[6][7]
※ 日本への輸送費を含む。

皇太子献納車(こうたいしけんのうしゃ)は、1900年(明治33年)に当時の日本の皇太子である嘉仁親王(後の大正天皇)の成婚を祝して、アメリカ合衆国サンフランシスコの在米日本人会が贈った電気自動車である。

1960年代以前は、一般に(俗説として)「日本に渡来した最初の自動車」だと言われていた(→#「皇太子献納車説」)。その説は否定されたものの、現在では、「日本に渡来した最初の電気自動車」だと考えられている[8]。また、電気自動車の献納というこの出来事は、皇室と自動車との最初の結びつきになったと位置づけられている[9]

渡来後の試験において電気技師の廣田精一によって運転され、これは日本人が日本で自動車を運転した最初の例だと考えられている(→#自動車を運転した最初の日本人)。その試験において別の者が軽微な事故を起こしており、これは自動車によるものとしては日本で初の交通事故だとされる(→#試運転と日本初の自動車事故)。車両の製造者について、確定はしていないが、ウッズ社(英語版)の電気自動車だと推定されている。(→#渡来した皇太子献納車
沿革「時系列」も参照
献納に至る経緯 サンフランシスコ領事時代の陸奥廣吉(写真は1899年)

1900年(明治33年)2月11日(紀元節)、宮内省は、皇太子嘉仁親王と九条節子九条道孝公爵の4女)の婚約を告示した[10]。日本国内では東宮御慶事奉祝会が組織され、名士や省庁、民間組織がそれぞれ献納品を発表して名品の献納が盛んに行われた[10][注釈 2]

アメリカ合衆国サンフランシスコにおいても、駐在領事陸奥廣吉(在任:1898年 - 1901年[W 1])を会長として、同地在住の日本人たちによって御慶事奉祝会が結成され、献納品を購入するための資金が募られた[10]。同地の日本人たちは日給1ドル程度(当時の日本円で2円程度)で働いており、多くの者たちは1日分か半日分の収入を献金し、総額にして5,311ドル15セントが集まった[2][12][注釈 3]

献納品を何にするかは現地の日本人たち一般から意見が募られ、記念病院や記念幼稚園の設立資金とするという声もあったが、候補はピアノ圧縮空気自動車(空気圧搾自動車)のふたつに絞られた末、圧縮空気自動車に決定した[2][12]。しかし、実際に注文したところ、圧縮空気自動車は購入までにかなりの日数がかかることが判明したため、既に販売されている高級自動車を贈ることに変更した[12]。この変更が行われたのは5月8日だとされ[2]、皇太子の婚儀が行われる5月10日は目前まで迫っていた[12]。この同じ5月に、陸奥は宮内省に電報を打ち、自動車を献納することについてあらかじめ許可を得たという(問い合わせがあり許可したという記録が宮内庁に残っている)[13][2]

自動車の購入、日本への運賃、保険料などで3,100ドルが費やされ、残金は現地の日本人の福利増進のため、協議会に寄付された[2][12]
日本到着

車両は東洋汽船亜米利加丸に積まれ、同年8月2日にサンフランシスコ港(英語版)を発ち、同月22日に横浜港に到着したと考えられている[2][14][注釈 4]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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