この項目では、日本の第126代天皇・徳仁の皇后について説明しています。第60代天皇・醍醐天皇の第10皇女については「雅子内親王」をご覧ください。
雅子
2019年(令和元年)8月30日撮影
明治記念館にて
第126代天皇后
在位期間
2019年5月1日 - 在位中
令和元年5月1日 - 在位中
皇后2019年(令和元年)5月1日
誕生1963年(昭和38年)12月9日(58歳)
日本 東京都港区赤坂葵町(現:虎ノ門)
虎ノ門病院
諱雅子(まさこ)
旧名小和田 雅子(おわだ まさこ)
印ハマナス
氏族小和田氏
父親小和田恆
母親小和田優美子
称号:皇后
敬称陛下
Her Majesty the Empress[1]/
Her Imperial Majesty(H.I.M.)
天皇 徳仁
皇后 雅子
敬宮 愛子内親王
上皇 明仁
上皇后 美智子
秋篠宮 文仁親王
秋篠宮文仁親王妃 紀子
佳子内親王
悠仁親王
常陸宮 正仁親王
常陸宮正仁親王妃 華子
三笠宮崇仁親王妃 百合子
ェ仁親王妃 信子
彬子女王
瑶子女王
高円宮憲仁親王妃 久子
承子女王
表・話・編・歴
五衣・唐衣・裳姿で即位礼正殿の儀に臨む雅子。唐衣は皇后のみに許される白地である
雅子(まさこ、1963年〈昭和38年〉12月9日 - )は、日本の第126代天皇・徳仁の皇后(在位: 2019年〈令和元年〉5月1日 - )[2]。皇族。元外交官。お印はハマナス。敬称は陛下[3]。勲等は勲一等。旧名は小和田 雅子(おわだ まさこ)。
小和田恆・優美子夫妻の第1女子。皇女子に愛子内親王がいる。住居は、東京都千代田区の皇居御所。 1963年(昭和38年)12月9日、外交官であった小和田恆・優美子夫妻の長女として東京都港区赤坂葵町(現・虎ノ門)にある虎の門病院にて誕生。出生時は一家で世田谷区桜上水の外務省官舎に居住していた[4]。 父の恆が在ソ連日本大使館一等書記官に就任したため、一家で渡露し1歳数か月からソビエト連邦・モスクワで過ごす。2歳の終わりごろから同国のモスクワ市立ジェツキサートNo.1127保育園に通園した。当初は慣れない言語や集団生活で泣き出すこともあったが、ロシア語もすぐに上達し、妹たちにロシア語で話し掛けたり、寝言もロシア語で言うほどだった[5]。このとき、モスクワ市のクツゾフスキー
来歴
生い立ち
1968年(昭和43年)5月から、父が国際連合日本政府代表部一等書記官に就任したため、アメリカ合衆国のニューヨーク州ニューヨーク市に一家で渡りブロンクス区のヘンリーハドソン・パークウェイ(英語版)という郊外で過ごした。この頃から区内のコンドミニアムに家族と引っ越し、同年9月から1年間、ニューヨーク市立第81パブリックスクール(P.S.)付属幼稚園(キンダガーデン)に通園する。1969年9月、市立第81パブリックスクール(P.S. 81-Robert J. Christen School)に入学。この頃からピアノを習得し始め、またこのアメリカ滞在期間中は日本語を忘れないようニューヨーク補習授業校(日本語学校)(英語版)に通学していた[6]。
1971年(昭和46年)3月、父が外務大臣秘書官事務取扱(前任は第87代内閣総理大臣小泉純一郎)に就任したため一家は日本に帰国し新宿区東大久保の国家公務員官舎に居住を移転する。目黒区立原町小学校第1学年に編入し、5月には新宿区立富久小学校第2学年に編入する[7]。