百里飛行場
Hyakuri Airbase
(茨城空港、Ibaraki Airport)
旅客ターミナルビル(茨城空港)
IATA: IBR - ICAO: RJAH
概要
国・地域 日本
所在地茨城県小美玉市与沢1601-55
(茨城空港)
種類軍民共用
所有者防衛省
運営者航空自衛隊
運用時間24時間
所在部隊中部航空方面隊第7航空団
航空救難団百里救難隊
標高32 m (105 ft)
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度11分00秒 東経140度25分14秒 / 北緯36.18333度 東経140.42056度 / 36.18333; 140.42056
方向 長さ×幅 (m) 表面
03R/21L 2,700×45 コンクリート
03L/21R 2,700×45 アスファルト
統計(2022年度)
旅客数596,536人
貨物取扱量t
航空:空港管理状況 - 国土交通省
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空港の一覧
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百里飛行場(ひゃくりひこうじょう)は、茨城県小美玉市にある飛行場である。
防衛省・航空自衛隊と民間の共用飛行場であり、民間施設は茨城空港(いばらきくうこう)、自衛隊施設は航空自衛隊百里基地(こうくうじえいたいひゃくりきち)となっている[1][2]。滑走路と自衛隊施設の大半は百里にあるが、茨城空港の空港ターミナルビルは隣の与沢にある。
沿革百里飛行場(茨城空港)の空中写真。2019年撮影。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
(開港前、滑走路一本時代の百里飛行場の様子)[3]
1937年(昭和12年):百里ヶ原海軍飛行場として設置(百里原海軍航空隊)。
1945年(昭和20年):第二次世界大戦終戦後、満洲国などからの引揚者の戦後開拓地となる。
1956年(昭和31年):航空自衛隊基地の建設が計画される。
1966年(昭和41年):航空自衛隊百里基地(航空自衛隊百里飛行場)として設置。
1990年(平成2年):日米地位協定第2条第4項(b)の適用施設・区域として在日米軍に新規提供される(施設・区域名:百里飛行場、Hyakuri Air Base, FAC 3187)[4]。
1993年(平成5年)
6月:小川町(現・小美玉市)が茨城県に対し、「百里基地民間共用化を軸とした小川町の活性化推進に関する要望書」を提出。
10月:小川町および同議会からの要望を受け、「百里飛行場民間共用化可能性調査」を県が実施。
1995年(平成7年)8月:「百里飛行場民間共用化構想」を県が発表[5]。
1996年(平成8年)
3月:共用化実現へ向けて、茨城県と地元14市町村で構成する「県百里飛行場民間共用化推進協議会」が設立[5]。
12月:百里基地の民間共用化が国の第七次空港整備計画(1996 - 2000年度)に盛り込まれ、閣議決定される[5]。
2000年(平成12年):民間共用化事業として事業化。
2008年(平成20年)11月14日:旅客ターミナルビル建設開始。
2009年(平成21年):新滑走路完成供用開始、現滑走路の改修工事着手。
2010年(平成22年)
3月6日:東関東自動車道 茨城空港北IC - 茨城町JCT間開通。
3月11日:茨城空港開港、官民共用開始[2]。“開港記念フライト”と称して、スカイマークがこの日限定のチャーター便を東京/羽田便と神戸便で運航。
4月16日:スカイマークが神戸線を定期便で運航開始。
6月24日:スカイマークが航空自衛隊主導の運航に反発し、神戸線を同年9月から運休させると発表[6]。
7月20日:スカイマークは同年9月1日から神戸線を運休し、同年10月1日から再開させると発表[7]。
7月28日:春秋航空が上海/浦東線をプログラムチャーター便として運航開始。
8月31日:この日をもって当空港唯一の国内線である神戸線を運休。
10月1日:スカイマークによる神戸線が運航再開。
2011年(平成23年)
2月1日:スカイマークが札幌/新千歳線・名古屋/中部線を運航開始[8]。
3月11日:東日本大震災。ターミナルビルの吊り天井が落下する被害が発生。アシアナ航空のソウル/仁川便が運航停止。
3月18日・3月19日:東日本大震災による臨時便として、スカイマークが東京/羽田へ1往復・神戸へ2往復を運航。
3月30日:福島第一原子力発電所事故によって発生した放射性降下物による機体洗浄のため、スカイマークの札幌/新千歳線・名古屋/中部線・神戸線を運休。
4月3日:スカイマークの札幌/新千歳線・名古屋/中部線・神戸線の運航再開。
5月31日:スカイマークの名古屋/中部線を運休。
6月1日:スカイマークの札幌/新千歳線を1日1便から1日2便に増便。
10月20日:オーストラリアに本拠を置く航空関係の調査会社CAPA(Centre for Asia Pacific Aviation)が茨城空港を「Low Cost Airport of the Year 2011」に選出[9]。
2012年(平成24年)
3月7日:スカイマークの神戸線を1日1便から1日2便に増便。
5月1日:スカイマークの沖縄/那覇線を季節便として7月 - 9月に運航する予定であることを発表。
6月23日:春秋航空の上海/浦東線の定期便運航(週6便)を開始[10]。
7月1日:スカイマークの沖縄/那覇線を季節便として就航開始。
10月1日:スカイマークの沖縄/那覇線を神戸経由に変更。
2013年(平成25年)
7月1日:スカイマークの沖縄/那覇線の直行便が季節運航便として就航開始。同時に、札幌/新千歳線を1日2便から1日1便に減便(前者の就航に伴う機材運用に関わる措置)[11]。
10月28日:スカイマークの沖縄/那覇線を神戸経由に変更。同時に、札幌/新千歳線を1日1便から1日2便に増便[12]。
12月20日:スカイマークが米子線を神戸経由で就航開始[13]。
2014年(平成26年)
2月:2月2日から27日の期間限定でミャンマー国際航空がマンダレー線・ヤンゴン線のチャーター便を運航開始[14]。
4月18日:スカイマークが名古屋/中部線を運航再開。福岡線を就航開始[15][16][17]。
7月18日:スカイマークが名古屋/中部経由沖縄/那覇線を就航開始。同年8月31日まで運航[18]。
10月26日:スカイマークが4月に再開した名古屋/中部線を採算悪化により運休[19]。
2015年(平成27年)1月28日:スカイマークが経営破綻[20]。29日に米子線の運休と札幌(新千歳)線および福岡線の減便を発表[21]。
2017年(平成29年)5月4日:タイガーエア台湾が台北/桃園線のチャーター便を運航[22]。当初はファーイースタン航空(遠東航空)が運航する計画だったが、運航会社はタイガーエア台湾に変更された。
2018年(平成30年)
2月3日:東関東自動車道・鉾田IC - 茨城空港北IC間開通。
2月:2月15日から3月3日の期間限定でイースター航空がソウル/仁川線のチャーター便を運航[23]。運航日は火・木・土曜日の週3便で、期間中に計8往復便を運航する。
3月:3月26日から10月25日の期間限定でタイガーエア台湾が台北/桃園線のプログラムチャーター便を運航[24]。運航は週2便。
7月31日:イースター航空が火・木・土曜日の週3便でソウル/仁川線の定期便が就航[25]。
10月28日:タイガーエア台湾が台北/桃園線を定期便化。木・日の週2便で運航[26]。
2019年(令和元年)
8月1日:スカイマークの神戸線を1日2便から1日3便に増便[27]。
9月19日:イースター航空のソウル線が、日韓関係の悪化による需要減少により運休する。
2020年(令和2年)
1月22日:茨城県知事大井川和彦が、東京駅との直行バスへの補助を2020年度から打ち切る方針を表明(利用者が県内で消費しないことが理由)[28]。
1月29日:開港10周年に向けて、愛称変更に関して有識者会議が検討を始める[29][30]。
2月10日:中国における新型コロナウイルス感染症(COVID-19)流行の影響により、春秋航空の中国線が全便一時運休となる。
3月19日:台湾当局による日本渡航制限の影響により、タイガーエア台湾の台北線が全便一時運休となる。これにより、国際線の発着がなくなる。
3月26日:航空総隊偵察航空隊が廃止される。
5月2日:スカイマークの神戸線が一時運休し、茨城空港発着の全便が運航停止。