百済の王_クンチョゴワン
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近肖古王
各種表記
ハングル:????
漢字:近肖古王
発音:クンチョゴワン
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百済の王 クンチョゴワン(くだらのおう クンチョゴワン、朝鮮語:????)は、2010年11月6日から2011年5月29日まで韓国KBSで放送されたテレビドラマ。全60話。
概要

4世紀百済の最盛期を築いた第13代王・近肖古王の生涯を描いた物語。番組冒頭、次回予告の冒頭には百済から日本へ贈られた七支刀が描かれている。百済の王子が倭国の神功皇后と結婚し倭国を平定する描写があるが、史実ではなく創作である。
登場人物
主要人物

ヨグ(余句)/近肖古(クンチョゴ)王:カム・ウソン本名プヨ・グ(扶余句)、遼西郡公→百済第13代王・近肖古王(クンチョゴワン)本作品の主人公。ピリュ王とチン妃の第4王子 クス、ヨグン、ヨジンの父
来歴
王としての資質に恵まれるも、彼を疎んだピリュ王により宮中を追われる。その後、10年間にわたり塩商人として生きてきた。341年、10年ぶりに百済に戻るが、ピリュ王との関係は修復することはなかった。高句麗と百済の兵士たちの争いに介入し、陣内にいる高句麗のサユ王に矢を放ち、傷を負わせる。これ以後、サユ王はヨグを強く意識する。命を狙われたピリュ王を救い、靺鞨族と共にコモリ城を落とすなど頭角を現す。やがて、ピリュ王はヨグを認めて、太子にしようと考える。しかし、これをよく思わぬヘ妃とプヨ・ジュンにより、344年にピリュ王は毒殺され、ヨグと母・チン妃は濡れ衣を着せられてしまう。チン妃は自殺し、ヨグも自分がピリュ王を殺害したと嘘の自白をさせられる。宮中を追われ、遼西に向かう途中、命を狙うヨサンとヘ・ゴンに捕われるが、タンボム会の襲撃により命を救われる。タンボム会の会主・ウィ・ビランを説得し、共にヨサン、ヘ・ゴンが占拠した清河院を取り戻す。遼西攻略のためタンボム会と東明団社を結成し、晋城を攻め落とす。晋城を奪還しようとするチュ・ウンベク率いる2千の趙軍に対し、黄砂を利用した奇襲作戦を用いて勝利する。偽の竹簡によって?に呼び寄せられ、ヨファと束の間のひとときを過ごすが、呼び寄せたヨサンとヘ・ゴンに襲われ、かばったヨファは重傷を負ってしまう。晋城へ戻ったあと、コフンより穢王之印の持ち主に選ばれ、東明団社の主となる。ヘ・ゴンに襲われるが、ウィ・ビランらによって事なきを得る。ウィ・ビランらも臣下となることを決め、東明団社はヨグのもとに強く結束することとなった。346年、遼西軍を率いて帯方郡へ渡り、チャンメ岬からスタン城をまたたく間に攻め落とす。プヨ・ジュンと会談し、共に高句麗を討つ事を提案するが断られる。そしてサユ王と会談するが、会談は決裂する。?老城からスタン城へ攻めてきた百済軍に対し、人質となっていたサ・チュンソンを射殺す。その最中、プヨ・ジュンを殺したヘ・ゴンから玉璽を、ヨフィからピリュ王の詔書を受け取り、即位する大義名分を得る。古毛里城を攻め落とし、帯方郡を手中にする。その後、漢城へ進軍して戴冠式を行う最中であったヨチャンとヘ妃を捕らえ、王位に就く。即位後、南堂(ナムダン)の改革や能力を重視した人事を行い、ヨファを第1王妃に迎えることを決める。それは旧来の貴族たちを困惑させることになる。侵攻してきた燕・高句麗・馬韓連合に対し、いずれの敵も迎え撃つことを決め、自身は遼西を攻める燕に対した。高句麗と一時的な同盟を結び、遼西を攻めていた慕容垂率いる燕軍を破り、遼西の支配権を確たるものとした。留守の隙を突いて、漢城を占拠したヨミン、ヨムン、ヨチャン、ヨサンを破り、平穏を取り戻した。しかしヨファの帰還してほしいという願いを聞かず、漢城へ戻るのが遅れてしまったため、彼女との間に決定的な亀裂を生じさせる結果となった。扱う武器は剣、弓。弓の技術は遠く離れた陣中のサユ王に傷を負わせるほど高い。

ヨファ(余花):キム・ジス本名プヨ・ファ(扶余花)、サユ王の第2王妃→ヨグの第1王妃→慰礼宮主プヨ・ジュンの娘 クスの母
来歴
ヨグより2歳年少。ヨグとは幼い頃より、互いを見知っていた。王位に就くため、高句麗との関係を強めたいプヨ・ジュンによって、サユ王と婚姻させられる。一旦はヨグと共に百済を離れ、遼西へ向かうつもりだったが、ヨグは宮中に残り、サユ王と婚姻することになる。趙に援軍を要請するため、チョ・ブルと共に首都の?へ向かう。捕われていたウィ・ホンナンを解放し、東明団社討伐軍の規模等を知らせた竹簡を託した。その後、?へやってきたヨグと束の間の時間を楽しむが、ヨサンとヘ・ゴン、高句麗軍に襲われ、ヨグをかばって斬られてしまう。このことを知ったサユ王は、戻ってきたヨファを王妃の座からおろし、御寿館の侍女とした。346年、御寿館の侍女の身分ではあったが、ヨグとサユ王の会談では王妃として出席する。プヨ・ジュンの死を知り、喪に服すために?老城への帰還をサユ王に願い出る。古毛里城をヨグらが攻めてきた際、自身の乗り物にサユ王を乗せて、彼の逃亡を手助けした。百済へ帰還後、ヨグの要請で第1王妃となる。しかし反対する者たちが多く、一度は暗殺されそうになったこともあった。やがて妊娠するが、アジカイの仕掛けた流行り歌によって、子供がサユ王の子供であるという噂を立てられる。ヨグが遼西に向かうことを止めるが、それは聞き入れられなかった。そんな中、男児を出産するが、望まれぬ状況であったため慰礼宮に移り住む。再度、ヨグに帰還するよう願うが聞き入れられず、彼の到着は遅きに失したものであった。漢城をめぐる攻防のさなか、子供と離れ離れになり、謀叛に関わったヨミン、ヨムンも処刑されてしまう。これを恨んでヨグと決別し、廃妃することとなった。

サユ(斯由)王イ・ジョンウォン高句麗第16代王・故国原(コググォン)王
来歴
331年に即位。ヨグの矢により傷つき、それ以後、彼を強く敵視するようになる。341年、百済との帯方(テバン)郡を巡る領土交渉で、靺鞨族を利用してピリュ王を暗殺しようと目論むが失敗に終わるがチン・ジョン、ヘ・ニョンを捕える。コモリ城をヨグらに奪われるが、ヨチャン率いる百済軍を破り、ヨチャンを捕える。346年、帯方郡を巡る百済側との会談を行っていたが、ヨグ率いる遼西軍がチャンメ岬からスタン城を占拠したことを知り、百済軍と共同してヨグに当たることになった。しかし、実際はコ・ノジャ率いる援軍を呼び寄せ、遼西軍と百済軍もろとも壊滅させようと考える。ヨグと会談するが、会談は決裂する。援軍が到着する前に古毛里城を攻められ、ヨファの乗り物で城外へ逃れ、舟で高句麗に撤退する。結果、帯方郡は百済の領土になってしまう。

ヘ・ゴン:イ・ジフン百済の達率(タルソル)、高句麗の安南(アンナム)将軍→百済の大将軍→百済の朝廷佐平ヘ・ニョンの嫡男 プヨ・ジュンの養子
来歴
プヨ・ジュンの命を受け、ヨサンと共に遼西に向かおうとするヨグらを捕らえ、船内で殺害しようとする。しかし、タンボム会の襲撃を受け、自身もヨサンと共に捕われる。解放後、清河院を占拠するもヨグらとタンボム会との戦いに敗れ、清河院を追われる。その後、趙に赴いて、知り合いであるチュ・ウンベクに晋城、高平城を占拠している東明団社討伐を要請する。自身も東明団社討伐軍に従軍するが、ヨグの黄砂を利用した奇襲作戦により討伐軍は全滅、敗走することになった。偽の竹簡でヨグを呼び寄せ、殺害しようとするが失敗する。晋城で再びヨグを殺害しようとするが、ウィ・ビランらによって失敗する。負傷したヘ・ゴンはヨサンと共に漢城へ戻る。346年、百済の大将軍としてヨチャンとヨフィと共に、帯方郡を巡る会談を行う最中、ヨグ率いる遼西軍が攻め込んできたのを知る。プヨ・ジュンより、自分を殺せと命令を受ける。プヨ・ジュンの頼みにより、彼の養子となる。逡巡した末、プヨ・ジュンを殺害し、玉璽を持ってヨグの元へ向かった。コモリ城攻めには、自身が高句麗の安南将軍であることを利用して城門を開けさせ、攻略に貢献した。ヨファを殺害しようとしたチン・スンを阻み、彼女の危機を救った。ヨグ即位後、2等功臣に褒賞されて、刑法を司る朝廷佐平に任じられる。ヨファに好感を持ち慰礼宮のために尽力するが、それが報われることはなかった。ヨファ死去後墓前で自殺を遂げる。

チン・スン:アン・ジェモ東明団社の左軍使(チャグンサ)→遼西軍の左軍使(チャグンサ)→百済の内臣佐平チン・ジョンの息子 チン・ホンナンの義兄 ヨグの従兄弟
来歴
ヨグの偽の自白を信じ、一度は袂を分かつ。しかし、無実と分かったのち、チン・ジョンの命で遼西へ向った。ヨグらと合流し、晋城攻略戦、晋城防衛戦を戦った。ヘ・ゴンの偽の竹簡によって、?へ行ったヨグを連れ戻しに向かい、彼の危機を救った。346年、遼西軍として帯方郡に侵攻する。幽閉中のチン・ジョン、チン・ゴドを救い出そうとするが、果たせなかった。古毛里城攻めに参加し、ヨファを殺害しようとするがヘ・ゴンによって阻まれる。ヨグ即位後、3等功臣に褒賞され、内政を司る内臣佐平に任じられる。ウィ・ビランらと共に第1王妃となったヨファを暗殺しようとするが失敗する。ヨグが遼西に出陣したとき、漢城の留守を任される。しかし、ヨミンらの謀叛により、漢城を占拠されてしまう。チン・ゴドらと合流し、漢城を奪い返した。
百済

朝鮮半島南西部に位置している国家。高句麗から離れたソソノ、オンジョ、ピリュらによって建国された。帯方郡を巡って、高句麗とは対立関係にあった。
王室

ソソノ(召西奴):チョン・エリ

チュモンの妻 オンジョとピリュの母チュモンらと共に高句麗建国に力を尽くした。しかし、後継問題でチュモンと仲違いし、オンジョとピリュらを連れて高句麗を離れる。高句麗から南下し、百済を建国する。百済で「国祖母(ククチョモ)」として崇められる。

オンジョ(温祚)キム・ジョンウ
百済初代王・温祚(オンジョ)王。ウテとソソノの息子。チュモンらと共に高句麗建国に力を尽くした。ソソノと共に高句麗を離れる。高句麗から南下し、百済を建国する。

ピリュ(沸流):トゥス
ウテとソソノの息子。オンジョの兄。チュモンらと共に高句麗建国に力を尽くした。ソソノと共に高句麗を離れる。高句麗から南下し、百済を建国する。

ピリュ(比流)王:ユ・スンウォン
百済第11代王。本名プヨ・グテ(扶余仇台)。サフルの息子でヨチャン、ヨフィ、ヨサン、ヨグ、ヨモンの父。王としての資質に優れるヨグを嫌い、宮中から追い出した。帯方郡の領土問題について、高句麗と交渉するが決裂し、命を狙われるがヨグに救われる。古毛里(コモリ)城を落とすなど、活躍を見せるヨグを見直し、ヨチャンに替えてヨグを太子に据えようと考える。しかし、ヨチャンを王位に就かせたいヘ妃と王位を狙うプヨ・ジュンによって、344年に毒殺されてしまう。

ヘ妃(ヘ・ソスル):チェ・ミョンギル
ピリュ王の第1王妃→プヨ・ジュンの第1王妃ヘ・ニョンの妹。ヨチャン、ヨフィ、ヨサンの母。

チン妃(チン・サハ):キム・ドヨン
ピリュ王の第2王妃チン・ジョン、チン・ゴドの妹。ヨグ、ヨモンの母。ピリュ王毒殺の濡れ衣を着せられ、自殺する。

サフル:ソ・インソク
フッカンゴン(黒姜公)・クッテゴン(国太公)ピリュ王の父。ヨチャン、ヨフィ、ヨサン、ヨグ、ヨモンの祖父。

ヨチャン:イ・ジョンス
本名プヨ・チャン。ピリュ王とヘ妃の第1王子。太子。ピリュ王がヨチャンを廃位し、ヨグと太子交代させようとしたことから、母・ヘ妃がピリュ王を毒殺し、ヨグとその母・チン妃を追い落とす。ヨグの即位後も王位を狙い、ヨミンと手を組み対抗する。

ヨフィ(余暉):イ・ビョンウク
本名プヨ・フィ(扶余暉)、ピリュ王とヘ妃の第2王子。346年、ヘ妃を助けるため、ヨグに医者と薬を求めた。ヨチャンらと共にスタン城にいるヨグの降伏を促した。ヘ妃から渡されたピリュ王の詔書を見て、ヨミンら3人の王子を捕らえてスタン城へ入った。ヨグにピリュ王の詔書を渡し、ポックゴムとプガンテと共にコ・ノジャ率いる高句麗の援軍をチョダン渓谷で防いで、ヨグらがコモリ城を攻略する時間を稼いだ。ヘ妃の頼みを受け入れ、彼女の死を見届けたあと、ヨチャン、ヨサンを救うが自身はウィ・ビランによって致命傷を負う。駆けつけたヨグにヨチャン、ヨサンの助命を頼み、息絶える。その死はヨグをはじめ、多くの人に惜しまれた。


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