この項目では、東京都新宿区の地名について説明しています。名古屋市東区の地名については「百人町 (名古屋市)」をご覧ください。
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百人町(ひゃくにんちょう)は、東京都新宿区の町名[5]。現行行政地名は百人町一丁目から百人町四丁目。住居表示実施済みの地域。
地理新大久保駅
江戸時代に百人組の諸氏が勤務のかたわら培養したことからツツジの名所として知られ、明治16年には町の有志がツツジ70種1万株を植えたが[6][7]、1903年6月に日比谷公園が開設されるとツツジの多くはそちらへ転売され、それ以後は宅地化が進んだ[8]。戦前は静かな住宅地で[9]、夏目漱石の『三四郎』では寺田寅彦をモデルとする野々宮宗八の住む場所に設定され、郊外の寂しい住宅地として描かれている。小学校の時分から百人町近辺に育った洋画家の曽宮一念は、「その頃の大久保は武蔵野の入口であったと同時に江戸時代からの静かな隠栖の地、又遊山の地でもあったらしい」と述べている[10]。林芙美子の『稲妻』(1936年)に「山の手の大久保」との表現が登場することから、この近辺は大正から昭和にかけて「郊外」から「山の手」になったと川本三郎は考えている[11]。
作家の岡本綺堂、大町桂月、岩野泡鳴、蒲原有明、国木田独歩、若山牧水、葛西善蔵、内田魯庵、林芙美子、下村湖人、小栗風葉、邦枝完二、岸田國士、詩人西條八十、服部嘉香、水野葉舟、歌人金子薫園、英文学者戸川秋骨、中国文学者奥野信太郎、ジャーナリスト幸徳秋水、思想家北一輝が住んでいた他[12][13][14]、3丁目には化学者で元学士院長の柴田雄次や経済学者の大内兵衛などの邸宅もあった[15]。