百万
作者(年代)
観阿弥原作・世阿弥改作[1]
形式
現在能[2]
能柄<上演時の分類>
四番目物[3]
現行上演流派
観世、宝生、金春、金剛、喜多[1]
異称
シテ<主人公>
狂女百萬
その他おもな登場人物
吉野の男、百萬の子
季節
春[4]
場所
嵯峨野[4]
本説<典拠となる作品>
不詳[3]
能
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「百萬」(ひゃくまん)[* 1]は、観阿弥原作・世阿弥改作[1]の能の演目。作中では、実在の舞い手ともされる主人公「百万」[1]の芸が披露されるとともに、失った子を探す母の母性が描かれている[6]。狂女物の代表的な作品とされ[7]、演能記録が多く人気が高い[8]。知られている最古の演能記録は寛正6年(1465年)3月9日[8]。
四番目物[5][9][4][3]、狂女物[4][5]、太鼓物[4]に分類される。観世流、宝生流、金春流、金剛流、喜多流の五流派の現行演目[1]。一場物[10][9]。
「百萬」の大部分を引用して草子化した『百萬物語』が万治3年(1660年)に作られた[3]。ほかに絵入り謡本(京都国立博物館に寄託)[7]、絵入り本とほぼ同じ内容で16世紀に製作された絵巻(国立能楽堂に所蔵)[11]が現存している。 世阿弥の物狂能のうち初期の作品[1]。『申楽談儀』では世阿弥は「百万」を自らの作としている[8]。それによれば世阿弥は観阿弥が得意としていた「嵯峨物狂
成立
この演目は歴史上実在した曲舞の名手・百万を元にしたのではないかと考えられている[8][3][1]。観阿弥は南都の芸人・百万に連なるとされる賀歌女から女曲舞を学んでいた[12][13]。このため流派の祖に当たる百万への敬愛を込めて「嵯峨物狂」・「百万」が作られたのではないかと指摘されている[14][12][13]。「嵯峨物狂」の時点で主人公の狂女が舞いの名手という設定だったかどうかは明らかではない[6]。また、「百万」に描かれるような母子の生き別れと再会が史実だったかどうかは疑わしい[6]。