白鳥由栄
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白鳥由栄脱獄再現シーン(博物館網走監獄

白鳥 由栄(しらとり よしえ、1907年明治40年〉7月31日 - 1979年昭和54年〉2月24日)は、日本の元受刑者

戦時中の食糧難の時代に収容先の刑務所で次々と脱獄事件を起こし、今日では「昭和の脱獄王」の異名で知られる。当時の看守の間で「一世を風靡した男」と評された。26年間もの服役中に4回の脱獄を決行、累計逃亡年数は3年にも及んだ。
生涯

青森県出身。幼少期に父が病死。3人姉弟の2番目だったが、母は乳?児の末弟とともに再婚。白鳥は姉とともに叔母(父の妹)の家の養子(豆腐屋)となる。徐々に素行が悪化。遂に1933年に仲間と強盗殺人を犯し投獄される。
青森刑務所

青森刑務所では劣悪な刑務所の待遇に抗議するも、逆に懲罰房に入れられる。 1936年 手桶のタガで手製の合鍵を作り、開錠して脱獄(1回目の脱獄。白鳥28歳)。だが、翌日自首。いじめた看守への復讐が動機だったが「逃走」の罪が加わり、無期懲役となる。1937年4月、白鳥は宮城刑務所を経て小菅刑務所(現:東京拘置所)に移監される。小菅刑務所では普通の受刑者としての扱いを受けていた。
秋田刑務所

1941年10月、戦時罪因移送令に基づき秋田刑務所に移監される。脱獄の経験があるため特別房入りの待遇であったが、高さ3メートルの牢屋で天窓があるだけであり、余りの寒さに防寒着を要求するものの拒否され、脱獄を決意。

収監された鎮静房の天窓の釘が腐りかけていることに気づき、部屋の隅を使って天井に登ることを思いつき、看守が寝静まってから練習をした。窓枠のブリキ片と古釘を見つけ、釘でブリキ板の縁をギザギザにして即席ノコギリを作り、鉄格子の周囲を切り取り始める。看守の交代時間を狙い、一日10分間ずつ鉄格子の周囲を切り取る作業を行った。切り取りに成功すると、脱獄の日を待った。

1942年6月、暴風雨に紛れて鉄格子を外し、天井より脱獄。刑務所の工場の丸太を足場にして壁を乗り越えた(2回目の脱獄。白鳥34歳)。
網走刑務所

3か月後、小菅刑務所に自首。収監の期間はさらに延長され、難攻不落と言われる網走刑務所に移監。凶悪犯専用の特別房に入れられる。時折、看守の態度に腹を立てて、手錠を力任せに引きちぎった。そのため、真冬でも夏物の単衣一枚の着用、夏には逆に厚着をさせられるという虐待を受ける。手錠や足錠はほとんど外されず、蛆が湧いてくる。この対応に死を覚悟し、脱獄を決意[1]

味噌汁の塩分で手錠と視察孔の釘を錆びさせた後に外し(味噌汁を視察孔の釘に吹き掛ける行為を一年間続けた)、関節脱臼させ、監獄の天窓を頭突きで破り、煙突を引き抜いて1944年8月26日脱獄(3回目の脱獄。白鳥37歳)。
札幌刑務所

その後終戦まで身を潜めるが、終戦後、畑泥棒と間違えられ農家に袋叩きにされ、逆に相手を殺害。札幌地裁から死刑判決が出たために脱獄を決意。

札幌刑務所では過去3回も脱獄経験のある白鳥だけに、特別房が用意され、扉・窓・鉄格子・採光窓など全てが補強され、看守6人1組で厳重に監視されていた。

視線を上に向けて誤魔化しながら隠し持った金属片でノコギリを作り、床板を切断。食器で床下からトンネルを掘った。1947年3月穴を潜り、外に出る。雪があったために壁を乗り越えて逃走(4回目の脱獄。白鳥39歳)。
府中刑務所

最後に捕まった際には、警官から当時貴重品だった煙草を与えられたことがきっかけとなり、あっさり自分は脱獄囚であると明かし自首した。これまで移送された刑務所では度々不良囚として扱われ、およそ人間的な対応をされなかった白鳥は、煙草をもらうという親切な扱いを受けたことで、心が動いたと話している。札幌高裁で審理が再開し、一部、白鳥の主張が認められ懲役20年となる。府中刑務所では白鳥を一般の受刑者と同様に扱ったため、白鳥は模範囚として刑に服した。1961年仮釈放。出所後は建設作業員として就労。1979年2月24日、心筋梗塞で死去した。71歳没。白鳥は無縁仏として供養されそうになるが、白鳥が仮出所した際に近所に住んでおり仲良くしていた女性が引き取り、埋葬された。
エピソード

収監中、当時の看守達は白鳥の脱獄を阻止するため厳重に警備を重ね、あらゆる手立てを行ったがいずれも振り切られた。このことから、脱獄者を出すと職務怠慢で
懲戒処分になるため、当時の看守の間では「脱獄するなら、自分が当直以外のときであって欲しい」と評されたエピソードがある。

2017年放送のバラエティ番組『激レアさんを連れてきた。』にて、実際に処分を受けた元看守の男性が出演し、白鳥が脱獄したのは自分が交代した後だったが、新人だったということもあり信じてもらえず、始末書を書かされ1か月の減俸処分になったというエピソードを明かしている[2]

白鳥がここまで脱獄を成功させたのは戦時下という背景のため人手不足での看守不足、鉄不足で強力で新しい手錠を用意することができなかったことも大きい[3]

身体能力

身体の
関節を簡単に外すことができる特異体質を持っていたとされ、頭が入るスペースさえあれば、全身の関節を脱臼させて、容易に抜け出したという。

健脚であり、1日に120kmもの距離を走ることができた。

網走刑務所では手錠の鎖を引きちぎるという怪力ぶりも見せており、その結果再収監後は重さ20kgもの特製の手錠を後ろ手に掛けられることとなった。また、地中深く突き立てられた煙突の支柱を素手で引き抜き、40歳を過ぎてなお、米俵を両手に持って手を水平にすることができるなど、その怪力ぶりは群を抜いていたとされる。

モデル

破獄: 後にテレビドラマ化された、吉村昭による小説。吉村も前書きで、「矯正行政に長く関わった、とある人物(小説中の鈴江所長)」から聞いた話と述べている。

博物館網走監獄: 網走刑務所からの脱獄風景をマネキンにより再現している。


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