白鳥信一
[Wikipedia|▼Menu]

しらとり しんいち
白鳥 信一
生年月日 (1928-06-28)
1928年6月28日
没年月日 (2001-08-22) 2001年8月22日(73歳没)
出生地 日本 東京市本郷区
職業映画監督
ジャンル映画テレビ映画
活動期間1966年 - 1982年
著名な家族白鳥あかね
主な作品
映画
『赤線最後の日 昭和33年3月31日』
『高校エロトピア 赤い制服』
『女高生 危険なめばえ』
テレビドラマ
『お嫁さん』
若草物語
テンプレートを表示

白鳥 信一(しらとり しんいち、1928年6月28日 - 2001年8月22日[1])は日本の映画監督である。妻はスクリプター白鳥あかね
経歴

1928年6月28日、東京市本郷区に生まれる。仙台第一中学校第二高等学校を経て1952年東京大学文学部国文科を卒業。1954年、制作を再開した日活撮影所助監督部に入り、再開第一作『国定忠治』にサード助監督としてつく。以後、川島雄三井上梅次堀池清西河克己の下で働く。とくに西河克己監督作品には『伊豆の踊子』『赤い蕾と白い花』など多数つき『何処へ』では挿入歌「こいちや節」の作詞まで手掛けた[2]1966年からは日活製作のテレビドラマを多数演出。この間、日活がロマンポルノに路線を転向したため、劇場映画の監督デビューは1973年の『団地妻 女の匂い』となった。[3][4][5]。2001年8月22日、食道がんのため死去[1]
フィルモグラフィ
映画

団地妻 女の匂い(1973年)

雨の夜の情事(1973年)

女調査員SEXレポート 主婦売春(1973年)

?女郎残酷色地獄(1973年)

狂棲時代(1973年)

赤線最後の日 昭和33年3月31日(1974年)

赤線本牧チャブヤの女(1975年)

トルコ風呂(秘)外伝 尼僧極楽(1975年)

新・団地妻 夫婦交換(1975年)

感じるんです(1976年)

幼な妻 絶叫!!(1976年)

宇能鴻一郎のむちむちぷりん(1977年)

宇能鴻一郎の上と下(1977年)

昼下りの情事 すすり泣き(1977年)

私は犯されたい(1978年)

課外授業 熟れはじめ(1978年)

女教師 秘密(1978年)

おんなの寝室 好きくらべ(1978年)

宇能鴻一郎の看護婦寮日記(1979年)

高校エロトピア 赤い制服(1979年)

潮吹き海女(1979年)

看護婦日記 たずらな指(1979年)

女高生 危険なめばえ(1980年)

宇能鴻一郎のホテルメイド日記(1980年)

おさな妻(1980年)

宇能鴻一郎の貝くらべ(1980年)

クライマックス 犯される花嫁(1980年)

欲情まんかい 若妻同窓会(1981年)

女高生 恥ずかしい瞬間(1981年)

女事務員 色情生活(1982年)

宇能鴻一郎の人妻いじめ(1982年)

宇能鴻一郎の女医も濡れるの(1982年)

俗物図鑑(1982年) - 出演のみ[4]

テレビドラマ

お嫁さん(1966年)

永遠に答えず(1967年)

愛妻くんこんばんは

若草物語(1968年)

かみなり三代(1968年 - 1969年)

新妻鏡(1969年)

人間の條件(1976年)[6]

脚注[脚注の使い方]^ a b日活の青春映画、ロマンポルノなどを手掛けた映画監督・白鳥信一さん死去(CINEMATOPICS)
^ 何処へ(日活)
^ 『日本映画監督全集 1976.12 キネマ旬報増刊No.698』(キネマ旬報社)p.212-213
^ a b 『日本映画・テレビ監督全集』(キネマ旬報社)p.198-199
^ 「官能のプログラム・ピクチャア ロマンポルノ1971-1982全映画』(フィルムアート社)
^人間の條件(テレビドラマデータベース)


記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:8634 Bytes
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef