白鬚神社
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この項目では、滋賀県高島市の神社について説明しています。他の白鬚神社・白髭神社・白髯神社については「白鬚神社 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

白鬚神社

境内(左から若宮神社・本殿・拝殿・絵馬殿)
所在地滋賀県高島市鵜川215
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度16分28.25秒 東経136度0分39.92秒 / 北緯35.2745139度 東経136.0110889度 / 35.2745139; 136.0110889 (白鬚神社)座標: 北緯35度16分28.25秒 東経136度0分39.92秒 / 北緯35.2745139度 東経136.0110889度 / 35.2745139; 136.0110889 (白鬚神社)
主祭神猿田彦命
社格国史見在社
県社
創建伝・第11代垂仁天皇25年
本殿の様式入母屋造
別名白鬚大明神・比良明神
例祭5月3日(白鬚祭)
9月5日6日(秋季大祭)
地図.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}白鬚神社
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鳥居の全天球画像
(360°インタラクティブパノラマで見る)湖中大鳥居

白鬚神社(しらひげじんじゃ)は、滋賀県高島市鵜川にある神社国史見在社で、旧社格県社。別称は「白鬚大明神」「比良明神」。神紋は「左三ツ巴」[1]

全国にある白鬚神社の総本社とされる[2]沖島を背景として琵琶湖畔に鳥居を浮かべることから、「近江の厳島」とも称される。

2015年(平成27年)4月24日、「琵琶湖とその水辺景観? 祈りと暮らしの水遺産 」の構成文化財として日本遺産に認定される[3]
祭神

祭神は次の1柱[1]

猿田彦命 (さるたひこのみこと、猿田彦大神)

国史に「比良神」と見える神名が当社を指すとされており、元々の祭神は比良山の神であるともいわれる[4]

『国史大辞典』によれば、「現在、祭神は猿田彦命(さるたひこのみこと)であり、『神社啓蒙』『和漢 三才図会』でも祭神を猿田彦とするが、実際は社殿の背後に聳える比良山を神体山とする比良明神である。」とある[5]

人格神が猿田彦命とされた由来は不詳であるが、猿田彦命は水尾神社(高島市拝戸)の縁起『三尾神社本土記』にも見えることから、両社の密接な関係が指摘される[4]
歴史
創建比良山

社伝では、垂仁天皇(第11代)25年に倭姫命によって社殿が建てられたのが当社の創建であるとして近江最古の大社としている(一説に再建)[1]。また白鳳2年(674年)には、天武天皇の勅旨により「比良明神」の号を賜ったとも伝える[1]

後述の国史に見える神名「比良神」から、当社の元々の祭祀は比良山に対するものであったとする説がある[4]

白鬚信仰の多く分布する近江国武蔵国北部・筑前国には渡来人が多いことから、それら渡来人が祖神を祀ったことに始まるという説もある[4][6][7][8][9][10]

当社の周囲には、背後の山中に横穴式石室(現・末社岩戸社)が残るほか、山頂には磐座と古墳群が残っている[4]
概史

国史では貞観7年(865年)に「比良神」が従四位下の神階を賜ったとの記載があり、この「比良神」が当社にあたるとされる[2]。ただし『延喜式神名帳には記載されていないため、当社はいわゆる国史見在社にあたる。

弘安3年(1280年)の比良庄の絵図では「白ヒゲ大明神」と見えるほか(「白鬚」の初出[4])、『太平記』巻18では「白鬚明神」という記載も見える[2]。また、謡曲『白鬚』では当社が舞台とされている[1]

その後、慶長8年(1603年)には豊臣秀頼の命により片桐且元を奉行として本殿(重要文化財)が再建されたほか、慶長年間(1596年 - 1615年)に摂末社の造営などの境内の整備が行われた[11]慶安元年(1648年)には朱印地として100石を受け、のちには189石余となったという[2]

明治に入り、1876年(明治9年)に近代社格制度において郷社に列し、1922年大正11年)に県社に昇格した[12]
神階

貞観7年正月18日(865年)、無位から従四位下 (『日本三代実録』) - 表記は「比良神」。

境内社殿(本殿は重要文化財)

境内は、慶長年間(1596年 - 1615年)に豊臣秀頼によって整備が行われている。

本殿(重要文化財慶長8年(1603年)の造営。棟札等から、豊臣秀頼の命により片桐且元を奉行として播磨国の大工の手で建てられたとされる。間口三間・奥行三間の入母屋造で、向拝一間を付し、屋根は檜皮葺である。向拝の手挟・蟇股等に桃山時代の特徴を示している。明治の拝殿造営・接続に伴い、向拝の軒先は切り縮められて権現造のような複合社殿様式となり、その際に屋根も?葺から檜皮葺に改められている。


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