白蛇抄
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白蛇抄
監督
伊藤俊也
脚本野上龍雄
原作水上勉
出演者小柳ルミ子
杉本哲太
仙道敦子
夏木勲
若山富三郎
音楽菊池俊輔
撮影森田富士郎
編集西東清明
配給 東映
公開 1983年11月12日
上映時間118分
製作国 日本
言語日本語
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『白蛇抄』(はくじゃしょう)は、水上勉による日本の文芸小説作品(1982年2月に集英社(のち文庫)より発売)を原作とした日本映画。原作に忠実に映画化し、東映配給により1983年11月12日に劇場公開された。伊藤俊也が監督を務め、主演を担当する小柳ルミ子は1984年の第7回日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞した。
製作経緯

1982年6月5日に公開された『鬼龍院花子の生涯』の大ヒットで、東映は文芸原作に女優たちのエロチシズムという鉱脈を見出し、新たな“女性文芸大作路線”を確立した[1][2][3]。本作はそのうちの一本である[1][4]

監督の伊藤俊也は、「前作の『誘拐報道』で小柳ルミ子が各助演女優賞を受賞すると天尾完次プロデューサーが、小柳主演で水上勉原作の『白蛇抄』を作ろうと私に言って来た」と話している[5]。原作は官能描写が凄くヌードになることは避けられないが、小柳は伊藤のオファーに対し、出演の了承を伝えた[5][6]岡田茂東映社長(当時)には既に企画を提出し「ルミ子が主演なら」とOKを取っていた[6]

間もなく渡辺プロダクション渡辺晋社長(当時)の耳にも入り、「こんなに濡れ場のある映画はけしからん」と激怒[5]。伊藤と天尾で渡辺社長のもとに日参し[5]、渡辺社長がようやく折れた[5]徳間康快は「渡辺晋さんが非常に心を痛めて、(岡田茂と親しい)私に、ウチの大事なお嬢さんが何とか脱がないですむよう岡田社長に頼んでもらえないかと言ってこられた」と話している[7]。小柳は「自分で納得して演じた」と話している[7]。渡辺は小柳本人の意欲を買った。

撮影に入ってからも大変で、ナベプロの担当者がクレームを色々付けてくるので、伊藤と天尾で謀り、完成前のラッシュを岡田社長に先に見せて了解を取ってから、ナベプロサイドには「文句があるなら岡田社長に言ってくれ」と伝えた[5]。そのタイミングで天尾が渡辺社長と岡田社長のトップ会談をセッティング[5]。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}渡辺は岡田に「ウチの可愛い娘を頼んだぞ」と言ったといわれる[要追加記述][6]。ここからは万事うまくいったと伊藤は話している[5]

マスコミには一切スチル写真を提供せずに、その代わりカメラマンを呼んで試写会を開催[5]。濡れ場になるとカメラマンのシャッター音が響く異様な試写会だったが、翌日スポーツ新聞の芸能面を一斉に独占し、大きな話題を呼んだ[5]。小柳は初ヌードを披露するなど熱演、本作で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞した。小柳にとって本作が最後の映画主演で[8]、以降、アダルトで奔放なイメージを決定づけた[8]
あらすじ

石立うたは、2年前、京都で火事にあい、夫を失って絶望のあまり若狭の心中滝に身を投じた時、華蔵寺の住職懐海に助けられ、そのまま後妻として寺に住みついていた。懐海にはひとり息子昌夫がおり、彼は出家ずみの身で来年高校を卒業すると本山に行くことになっている。ある日、華蔵寺にうたの遠い親戚に当るという十五歳の少女鵜藤まつのが引きとられてきた。この寺での初めての夜、まつのは異様な女の呻き声を耳にした。その声は隠寮から聞こえてきた。夜ごとうたの体に執着する懐海。それを覗き見する昌夫。彼はうたに惹かれていた。もうひとり村井警部補もうたが身を投げ救助された時に立ち会って以来彼女に惹かれていた。

うたと昌夫が急な夕立で雨を避けるため小屋に入ると、昌夫はうたの濡れ姿を見て、二人はできてしまった。懐海が寝た後、彼の寝室から離れた部屋でうたと昌夫が行為に及んでいると、誰かが覗き見しているのに昌夫が気付き、二人で見に行ったら、覗いていたのは懐海で、しかも死んでいた。うたと昌夫は二人で懐海の遺体を元の寝室に戻し、まつのには懐海の死を遅れて知らせた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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