白蛇伝
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この項目では、中国の伝説について説明しています。

1958年公開の日本のアニメ映画については「白蛇伝 (1958年の映画)」をご覧ください。

2006年放送の中華人民共和国のテレビドラマについては「白蛇伝 (テレビドラマ)」をご覧ください。

その他、本伝説を題材とする作品については「#近現代での作品・映像化」をご覧ください。

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白蛇伝

各種表記
繁体字:白蛇傳
簡体字:白蛇?
?音:Baishezhuan
ラテン字:Baishezhuan
発音:ハクジャデン
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『白蛇伝』(はくじゃでん)は、中国古代の四大民間伝説[1]の一つとされる、物語類型の総称。それぞれの時代・地域で民衆や為政者の志向に合わせて変化し、小説戯曲などの題材とされた。
概要

初めは白蛇妖怪が白衣の美しい女性に化けて、淫慾を満たしその心肝を食うために若い男性を攫う、という素朴な民間説話が物語の大きな枠組みであった。それが時代とともに発展・変化しながらいろいろな挿話が付加・削除され、最終的には人類の男性と白蛇の化身である女性との恋愛物語(異類婚姻譚)となる。白蛇と人間は夫婦になるものの白蛇は法力を持った禅師等に正体を見破られ、西湖畔の雷峰塔に封じ込められる。しかし発展・変化の過程で妖怪の元来の目的が削除され、白蛇が退治される事由が語られずに恋愛の部分に重点が置かれるようになり、さらにハッピーエンドを迎えるものまで作られている。

(川田耕 2014, p. 37-57)は、中世以降の中国で蛇に関する説話が突出して多くなり、近世にかけて様々な物語が生み出され語り継がれていくなかで、次第に形成され発展していったと推測し、『白蛇伝』の遷移に中国の古代から近代への過程を投影している[2]

戦後日本においては、1956年、周恩来の命により来日した京劇梅蘭芳一行の公演に『白蛇伝』中の演目[3]が含まれており、また同年、日本初の総天然色特撮映画白夫人の妖恋』(1956年、東宝)が公開され人々の耳目を集めた。日本初の総天然色長編漫画映画白蛇伝』(1958年、東映)も公開され、この物語は一般の日本人にもなじみ深いものになった。

一方、この伝説はギリシア神話ラミアーと関係があるという指摘もなされている[4]
物語の遷移の歴史
『李黄』

残存する『白蛇伝』に関係する最古の物語と考えられているものは[5]中唐の谷神子(こくしんし、鄭還古)撰の『李黄』(唐代伝奇集『博異志』、後に『太平広記[6]に収録[7])である。日本語訳は今村与志雄 訳がある[8]

―『李黄』あらすじ―
元和2年(807年)、塩鉄使である李遜の甥の李黄が長安の東市で牛車に乗った白衣の美女に出会った。侍婢に訊ねると夫の喪が明けたばかりの未亡人で、手持ちの金がないというので、銭と帛を立替えたところ屋敷に招かれる。白衣の娘の叔母と名乗る老婆が、実は貧しい暮らしで三万銭の借財がある。よければ側仕えさせたいと申し出る。李黄は下僕に三万銭を取りに行かせ、誘われるままに三日間泊った。四日目になると老婆が長泊して李黄が叔父に咎めらないよう取り敢えず帰るよう勧める。下僕は李黄が生臭くなっていることに気づいたが、言われるままに帰宅した。すると何日も何をしていたのか家人に尋ねられたが、体の具合が悪かったのでそのまま寝床に入った。やがて取り留めないことを口走るようになり、婚約者に対し自分はもうだめだ、と言った。夜具をおそるおそるめくると、体がとけて水となり頭だけが残っていた。家人が下僕を問いただし、女の家にいくと、そこは廃園だった。一本の?莢(さいかち)の樹があり、樹の上に一万五千、樹の下に一万五千の銭があった。近所の者によると、樹の下によく大きな白蛇がとぐろを巻いていた以外はなにもなかったとのことであった。

続けて復一説として別の話も掲載されており大筋は同じだが多少の違いがある。主人公の名が李?であり、最後は体が水になるのではなく頭が裂けて死ぬことになっている。家人が女の家のあった場所にいくと枯れた槐(えんじゅ)の樹があり、そこには大蛇がとぐろをまいた跡があった。樹の根元を掘り起こすと、小さい白蛇が数匹いたので、一匹残らず殺して帰ったとのこと。頤和園の回廊に描かれた白蛇伝説の『西湖三塔記』[9]
『西湖三塔記』

嘉靖20-30年(1541-1551年)頃[10]になり、『白蛇伝』という物語が形成されてきたと思われているものに『清平山堂話本 西湖三塔記[11]』洪?((中国語版)、こうべん)編刊がある。講釈師(説話人)の語る台本を文字化したものであり、現存最古の話本(中国語版)とされる。日本語訳は入矢義高 訳がある[12]青木正児は『小説「西湖三塔」と「雷峯塔」』[13]に、西湖に鼎立せる三塔[14]に絡んだ話が原型であるらしく思われる、としている。しかし、この話本においては未だ『雷峰塔』は登場せず『三個の石塔』となっている[15]
『西湖三塔記』あらすじ―

はじめに蘇東坡の詩など、いくつかの歌謡を含む西湖賞賛の長いくだりがある。

南宋孝宗淳熙年間(1174-1189年)、臨安府湧金門内に住む岳飛麾下の奚という統制官の一人むすこの奚宣賛という青年が、折しも清明節だったので母親の許しを得て、西湖に遊山に出かけた。そこで宣賛は、上から下まで真っ白の絹の着物をきた迷子の女の子を見つけた。名を問えば、西湖に住んでおり白というみょう字、祖母と遊びにでたところはぐれて道に迷ったとのこと。その女の子が宣賛の着物をつかんで手を離さないので仕方なく家に連れ帰った。女の子の名は卯奴(ぼうど)といい、家にあずかって十日あまりたった。すると表に四人轎[16]に乗った黒衣をまとった老婆(婆婆身穿p衣)があらわれ、迷子の祖母だと答え、宣賛にぜひお礼したいからと家に招き、宣賛は轎についていく。とある屋敷に着くと、女児の母だという白衣の婦人(白的婦人)が現れ、宣賛が娘を助けてくれたと聞き、山海の珍味を並べて歓待する。折しもそこに一人の使用人が現れ、奥様[17]、新入りが参ったので古手[18]を始末しましょうと進言する。奥様は、では宣賛さまの肴にしようと答えると、二人の壮漢[19]が若い男を引っ立てて来て将軍柱[20]に縛り付け、その腹を切り開き、心肝をとりだし奥様に差し出す。宣賛は驚愕して酒を飲むどころではない。奥様は老婆と若者の心肝を食べ終えると、宣賛に自分は未亡人なので宣賛の嫁にしてほしいと誘惑する。二人は手を取り合い蘭房(奥様の寝室)に入った。夜が明けても宣賛は引き止められ住みつくこと半月有余。宣賛は、顔が黄ばみ肌は痩せこけてきたので一旦家に帰り、また来なおしたいという。すると使用人が一人現れ、新入りが来たので古手を始末するよう奥様に進言する。奥様が連れてくるよう命じると、数人の壮漢が男前の若者を招き入れ、宣賛は心肝を取られそうになる。白卯奴が自分を助けてくれた人だからと助命懇願する。卯奴は絶対に目を開けてはならないと言い含め、宣賛を背負い、空を飛んで逃げたようだが宣賛は手で卯奴の首を探ると鳥の毛が生えているのに気づく。「着いた」との叫び声に、宣賛は目を開けると卯奴の姿はなく、城壁の上だった。帰宅し、宣賛は母親に一部始終を聞かせると仰天して、この家の位置が悪いせいだろうからと、良い場所を探し吉日を選び転居した。宣賛はまた元気になり一年がたち、また清明節を迎えた。奚宣賛は小さな弓(弩兒)を携えて飛禽(野鳥)を探していたが、ふと見ると樹上に老鴉が鳴いている。宣賛が箭を射ると命中し、老鴉は地に落ちて地上であの黒衣の老婆(p衣的婆婆)に変身した。宣賛はとらえられ、またもや白衣の婦人と夫婦となり半月余りが過ぎる。また帰宅を申し出たために将軍柱に縛りつけられ、心肝を取られそうになるが、ふたたび白卯奴に助けられてなんとか帰宅する。事情を聴いた母親は、宣賛に家から出ぬよう諭した。とある日、龍虎山[21](中国語版)に行ったきりだった奚統制の弟の奚真人が訪れ、黒気が立ち昇るのを望見してやって来たという。甥に妖怪が憑いているのを知って、西湖畔の四聖観で神将を呼び出し、命じて三つの妖怪を捉えてこさせる。三妖怪は、奚家が水門をふさいでいるのを恨んでいたらしい。奚真人は神将に命じ三妖怪を打たせると姿を現し、卯奴は黒い鶏、老婆は獺(かわうそ)、白衣の奥様(白衣娘子)は白蛇であった。真人は神将に命じ、鉄の籠に取ってきて三妖怪を閉じ込め西湖に沈めさせ、衆生教化の縁で(化縁)三つの石塔をこしらえ三妖怪を湖中に鎮めた。宣賛は叔父に弟子入りし、在俗のまま出家しめでたく一生を終えた。
『双魚扇墜』

次に明万暦年間(1573-1620年)[22]頃になると、南宋時代の語り物をテキストにしたと思われる『双魚扇墜』(『孔淑芳雙魚扇墜傳』)がある。


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