白神山地
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白神山地
日本

白神山地核心地域
英名Shirakami-Sanchi
仏名Shirakami-Sanchi
面積169.71km2
登録区分自然遺産
IUCN分類Ib(原生自然地域)
登録基準(9)
登録年1993年12月11日[1]
公式サイト世界遺産センター(英語)
地図

使用方法表示

白神山地(しらかみさんち)は、青森県から秋田県にまたがる山地帯の総称。屋久島とならんで1993年(平成5年)12月、日本で初めてのユネスコ世界遺産(自然遺産)に登録された[1]。そこには「人の影響をほとんど受けていない原生的なブナ天然林が世界最大級の規模で分布」(世界遺産登録理由)と記されている。
概要白神山地の地形図。白線は世界遺産の指定範囲。

地質的には主に9000万年前(中生代白亜紀)の花崗岩を基盤としており、当時の日本列島はユーラシア大陸と地続きだった[2]。その後、海底下にあった2000万年から1200万年前(新生代第三紀中新世)にかけ海底の火山活動があり、白神山地の大部分はそのときの堆積岩(凝灰岩、泥岩、砂岩)や貫入岩類(流紋岩、石英閃緑岩等)で構成されている[2]

白神山地全体の面積は約13万haでそのうち約1万7千ha (169.7km2) がユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録されている[1]。青森県側の面積はそのうち74%の126.3km2を占め、残る43.4km2は秋田県北西部にあたる。なお、白神山地に含める範囲(世界遺産登録地域外の地域も含めた範囲)や総面積については後述のように資料によって差異がある[3]

白神山地は法隆寺地域の仏教建造物姫路城屋久島とともに、1993年、日本で最初に世界遺産に登録された。世界遺産地域は、中央部の核心地域と、周辺の緩衝地域に分かれ、これらの地域は世界遺産登録時より開発を行わず、現状のまま保護されることになっている。

世界遺産登録地域は、登録前後に禁猟区に指定されている。猟を行うには漁業協同組合森林管理署長の許可が必要である。なお、漁業組合はここを通年禁漁としている。だが、自然の資源を必要なだけ利用してきたマタギによる狩猟も禁止されたことから、禁猟によりマタギ文化が消失するという批判も存在する[4]

自然保護のために、核心地域への立ち入りを全面的に禁止すべきかどうか、あるいはまた、かつてのマタギなどのように、そこで生活の糧を得ていた人たちまで規制する必要があるのかどうか、議論は進んでいない[5]

位置は青森県西津軽郡鰺ヶ沢町深浦町中津軽郡西目屋村秋田県山本郡藤里町で標高300m - 1243mの向白神岳に及ぶ山岳地帯である。(N 40°22' - 32'、E 140°2' - 12')

山地の山については白神山地の山の一覧参照。

名称
弘西山地

藩政時代、この地域は目屋野沢、大然山、追良瀬山と記された[3]

白神山地ビジターセンターによれば、世界遺産登録以前には地元や行政関係者の間では、「弘前」と「西浜(津軽西海岸)」から弘西山地(こうせいさんち)と呼ばれていたという[2]
白神山地

「白神山地」の名称については、江戸時代、菅江真澄の『菅江真澄遊覧記4』7頁に出羽国の黒崎から見える「白髪が岳」(白神山)に関する記述が現れる[6]

1920年(大正9年)の『青森県地誌』に「泊岳連山」として記載され、その後は「白神山塊」など地理区分として出羽山地の青森・秋田県境に記載されるようになった[3]

「白神山地」は公的には1954年(昭和29年)に地理調査所の主要自然地域名称図に記載されており、1964年(昭和39年)の20万分の1地勢図「弘前」にも表記されている[3]。そして、土地利用計画のための土地分類図の作成において、青森県側では「白神山地」と表記され(昭和42年度・43年度)、秋田県側では「真瀬岳山地」と「駒ヶ岳火山地」とされた[3]

山と渓谷社の雑誌「山と渓谷」の1970年9月号には「津軽に君臨する未開の大溪谷 白神山地赤石川」という記事が載っており、新潮社の「旅」の1972年8月号(46号)には「白神山地にひそむもの」として岡田喜秋の記事が載っている(p.108?109)。また日本山岳会の雑誌「山岳 73号」の1978年12月号(131号)には「白神山地」という坂本知忠と佐藤勉による記事が載っている(p.168?189)。

白神山地ビジターセンターによると、1980年代の林道建設への反対運動に際し「白神山地」という表現が広まっていったといい[2]1994年(平成6年)に青森県が策定した「白神山地保全・利用基本計画」では秋田県側の地域も含めて面積の計算等が行われ全体が「白神山地」とされた[3]
面積

白神山地に含める範囲(世界遺産登録地域外の地域も含めた範囲)や総面積については資料に差異があり諸説ある[3]
2,400km2説(矢立峠説)

大鰐町、岩木山東辺説

1,300km2説(中村川、相馬・西目屋村境、早口川までの範囲)

1,000km2説(郡境、津軽峠、湯ノ沢川までの範囲)

650km2説

450km2説

標高100mから1,000m説

地理区分上の名称であるとする説(青森・秋田県境付近に表示)

2,400km2説(矢立峠説)と地理区分上の名称であるとする説は地理区分とされる[3]。一方、大鰐町、岩木山東辺説や1,300km2説(中村川、相馬・西目屋村境、早口川までの範囲)は土地利用区分とされる[3]。また、1,000km2説(郡境、津軽峠、湯ノ沢川までの範囲)は植物学的見地に基づくとされる[3]。650km2や450km2とする資料については、ブナ林の面積を基準にしているとみられているが範囲は示されていない[3]
自然小岳より見た白神山地核心地区。呼称は秋田県側のもの。青森県側では、袴腰山(真瀬岳)、泊岳(二ツ森)、トッチャカの森(雁森岳)となっている。白神岳向白神岳は最高地点と三角点の位置がかなりずれるため場所を明記していない。
ブナ林.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この節には、JIS X 0213:2004 で規定されている文字(ブナ『?』は木に無)が含まれています(詳細)。紅葉した白神山地の原生林

白神山地のブナは世界最大級の面積であり、広大かつ連続して原生に近いブナ林が存在している[2]。白神山地のブナ林が形成されたのは約1万年前に最終氷期が終わり、それから2千年後の約8千年前頃とされている[2]。しかも、このブナ林は遥かに前の北極地第三紀植物群(英語版)の原形をほぼ保っていると考えられる。気候が温暖だった第三紀の時、寒冷な気候に強いブナは北極の周極地域にしか生息していなかったが、地球寒冷化に伴ってブナの分布域は周極地域から南へシフトし、現在と同じく温帯の北部に定着した。しかし、第四紀になると、繰り返された氷河期によりブナ林はさらに南へ移動し始めた。


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