日本の政治家白石 洋一しらいし よういち
2020年2月1日、四国中央市集会にて
生年月日 (1963-06-25) 1963年6月25日(60歳)
出生地 日本 大阪府布施市
(愛媛県今治市出身[1][2])
出身校東京大学法学部
カリフォルニア大学バークレー校
前職日本長期信用銀行行員
監査法人KPMGディレクター
所属政党(民主党→)
(民進党→)
(希望の党→)
(国民民主党→)
立憲民主党
称号法学士
Master of Business Administration
アメリカ合衆国公認会計士合格
配偶者死別
公式サイト ⇒白石よういち(白石洋一)公式WEBサイト
衆議院議員
選挙区(愛媛3区→)
比例四国ブロック
当選回数3回
在任期間2009年8月30日 - 2012年11月16日
2017年10月24日 - 現職
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白石 洋一(しらいし よういち、1963年6月25日 - )は、日本の政治家。立憲民主党所属の衆議院議員(3期)。同党愛媛県連代表。 今治市立日高小学校生の時に電話級アマチュア無線技士試験に合格[3]。今治市立今治西中学校、愛媛県立今治西高等学校、東京大学法学部卒業[4]。クラスメートには達増拓也(岩手県知事)、新川浩嗣(財務省 大臣官房長)や伊原和人(厚労省 医政局長)など、同級生には井川意高(元大王製紙会長)などがいる。東大在学当初は、高校時代アイスホッケーの社会人クラブに所属していたことからアイスホッケー部に所属。 大学卒業後、日本長期信用銀行に入行[5][4]。1993年、カリフォルニア大学バークレー校経営大学院でMBAを取得した[4]。1997年、長銀ニューヨーク支店に赴任[4]。長銀の経営破綻により、2000年に監査法人KPMGニューヨーク事務所に入所[4]。911事件に家族で遭遇[6]。2004年、稲盛財団イナモリフェローに入塾した(第2期生)[4]。 西条市に在住し、2007年2月、次期衆議院議員総選挙への立候補を表明[5]。2009年の第45回衆議院議員総選挙に民主党公認で愛媛3区(四国中央市、新居浜市、西条市)から出馬し、自由民主党新人の白石徹を破り初当選した。小選挙区比例代表並立制の導入後、愛媛県の小選挙区では自民党の候補者が議席を独占してきたが、白石洋一が初めて非自民系の候補ながら議席を獲得した。2012年の第46回衆議院議員総選挙では、前回下した白石徹に敗れ、重複立候補していた比例四国ブロックでも復活できず、落選した。2014年の第47回衆議院議員総選挙でも自民党の白石徹に敗れ、再び落選。 2017年3月、白石徹が現職のまま死去[7]。白石徹の死去に伴う愛媛3区補欠選挙に出馬の意向を表明し、7月に民進党から公認を受けた[8]。しかし、衆議院解散により補選は中止され、総選挙のなかに組み込まれた。前原誠司民進党代表が9月27日、民進党を事実上解党し、希望の党から原則立候補する方針を表明[9]したため、白石も希望の党から出馬し[10]、白石徹の次男であり自民党の公認を受けた白石寛樹 2018年5月7日、民進党と希望の党の合流により結党された国民民主党に参加した[13]。 2020年9月15日、旧・立憲民主党、旧・国民民主党の合流により結党された立憲民主党に参加した[14]。同年10月、立憲民主党愛媛県総支部連合会代表に就任した[15]。 2021年10月31日、第49回衆議院議員総選挙で自民党新人で元参議院議員の井原巧に敗れるも、比例復活で3選[注 1][16][17]。11月30日、枝野幸男代表の辞任に伴う代表選挙が執行[18]。白石は同選挙で小川淳也の推薦人に名を連ねた[19]。1回目の投票では小川に投じ、決選投票では泉健太に投じた[20]。 2022年12月28日に改正公職選挙法の施行による10増10減に伴い、2022年12月13日の立憲民主党の常任幹事会で、次期衆院選において愛媛2区からの出馬が内定した[21]。
来歴
衆議院議員
政策・主張
第9条を含む日本国憲法の改正に反対[22]。