しらいし ふゆみ
白石 冬美
プロフィール
本名白石 芙美子
(しらいし ふみこ)[1][2]
愛称チャコ[3][4]
茶子(ちゃこ、俳号)[3]
性別女性
出生地 中華民国・北平市(現・北京市)[5][6]
出身地 日本・静岡県[5]
死没地 日本・東京都世田谷区
生年月日 (1936-10-14) 1936年10月14日
没年月日 (2019-03-26) 2019年3月26日(82歳没)
血液型A型[7]
職業声優、女優、ラジオパーソナリティ
事務所賢プロダクション(最終所属)[8]
公式サイト白石 冬美 賢プロダクション [Kenproduction] 声優事務所・タレント事務所・声優プロダクション
白石 冬美(しらいし ふゆみ、1936年〈昭和11年〉10月14日[注 1][5] - 2019年〈平成31年〉3月26日[5])は、日本の声優、女優、ラジオパーソナリティ。
静岡県出身[5]。生まれは中華民国北平市(現・北京市)[5][6]。最終所属は賢プロダクション[8]。 1936年、4人姉妹の長女として北平市(現・北京市)に生まれる[5][6]。父は医師であった[6]。家族と共に中国より引き揚げて静岡県に暮らす[5]。幼い頃から読書好きであり、物語の世界に入り込んだり、空想を巡らせるのが楽しかったという[4]。学校では放課後の演劇部に熱心なくらいだったという[4]。ミッションスクールの静岡雙葉学園へと進み、在学中から中村錦之助の時代劇に憧れて育った[5][6][11]。静岡雙葉高等学校[注 2]中退後、松竹歌劇団の入団試験に応募して合格を果たし上京するが、自身の未熟さを痛感して入団から3か月後に、新たに基礎から学ぶべく東宝芸能学校の演技科へと席を移した[5][6][13][14][12]。在学中に東宝ミュージカルの初舞台を経験し、卒業後は日劇ダンシングチームに入団して渥美清らと同じ舞台を踏んだ。日劇ダンシングチーム退団後もドラマや舞台に出演していたが、肝炎により健康を損なって地元の父の元で半年間の療養生活を送った。復帰後はその独特の声質により、CMの仕事を契機に声優としてデビューした[5][6][11][14]。声優としての活動は1960年代からである[5]。第一線で長らく活動したが[1]、後年は専門学校の声優科の講師を務め、後進の指導に専念したため、現場から遠ざかっていた。 アクタープロ[15]、東京俳優生活協同組合[16]、河の会[2]、青二プロダクション[12][17]を経て賢プロダクションに所属していた[6]。 TBSラジオの深夜放送番組『パックインミュージック』においては、1967年から野沢那智とのコンビで金曜日のパーソナリティーを務め、「ナチ・チャコパック」または「ナッチャコパック」と呼ばれ、同番組最長の15年間のロングランを記録した[14][18]。なお、ラジオで初めて野沢と組んでパーソナリティを務めたのは、『パック』が始まる6か月ほど前の1967年1月頃から放送された同じTBSラジオの30分の映画音楽番組『スクリーン・ミュージック』で、そこで台本から離れての二人のアドリブでの掛け合いが面白いと、ディレクターの熊沢敦に目を掛けられ、そのままコンビで『パック』に起用された[19]。しかし最初は、同番組パーソナリティ起用が内定していたある有名タレントがアメリカに渡っていて、その帰国が大幅に遅れることになったことによる2か月限りの代役の予定だったが、大きな好評を受けてそのまま正式にレギュラーパーソナリティとなったという経緯がある[20]。ナッチャコの由来は野沢のあだ名「ナッチャン」と白石のあだ名「チャコ」に由来している。白石の愛称のチャコは「チッチャイ子」から転じて呼ばれるようになったという[5][18]。
略歴