白熱灯
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白熱電球フィラメント付近のアップ

白熱電球(はくねつでんきゅう、英語: incandescent lamp[1]、filament lamp)とは、ガラス管球の中に入れた高抵抗線(High resistance wire)に電流を流し、ジュール熱によって高温となり放射するを利用するもの[2]。フィラメント電球、白熱球、白熱バルブなどともいう。

2000年代までは蛍光灯とともに、世界の主流の光源の一つだったが、消費電力が大きいことから、2010年代に次第にLED電球に置き替えられた。日本では、2019年4月施行の改正省エネ法に基づき、白熱電球の廃止は2027年と想定されている。
概説
特徴

白熱灯から放たれるスペクトル黒体放射に近い。電力の多くが赤外線に変換されるため発光効率は低い。日常用いられる100Wガス入り白熱電球では、可視光の放射に使用される電力は10%程度であり、赤外放射は72%で、残りは熱伝導により消費される。

そのかわり、一般の人工光源の中では演色性に特に優れており、写真や映画、テレビの撮影光源として広く利用される。演色性の基準となる光源は、専用の白熱電球と特殊な光学フィルターの組み合わせで定義されている(CIE標準光源)。
歴史

19世紀以降、多くの発明家が電気エネルギーを利用した照明の開発に取り組み、1870年代から1880年代にかけて、主にイギリスのジョゼフ・スワンとアメリカのトーマス・エジソンが開発を競っていた。しかしスワンのフィラメントは径が4mmと太く、利便性等の問題があった。エジソンは、さまざまな素材のフィラメントを試し、当時で連続1,200時間点灯という画期的な改良に成功した。この電球について1879年1880年に特許を取得し、本格的な商用化と大量生産を実現したことで、世界中にフィラメント電球が普及していった。→#歴史

2010年代なかばころまで一般的に使われ、電気式の照明装置としては世界的には標準的なものであった。

2010年代にLEDバルブへの置き換えが急激に進んだが、2010年代でも研究は続けられてはおり、今後、LEDバルブを超える高効率の白熱球が開発・実用化される可能性は残されている。→#高効率化
構造と素材

抵抗線としては通常はタングステンが用いられ、高温での蒸発を防ぐためアルゴンおよび窒素ガスが管球内におよそ 0.7 気圧になるように封入されていることが一般的[2]白熱電球の構造
1.バルブ 2.不活性ガス 3.フィラメント 4&5.内部導入線 6.吊り子 7.マウント 8.外部導入線(ヒューズ線) 9.口金 10.絶縁材 11.中心電極
フィラメント
白熱電球の発光部分本体。
導入線

サポート線(内部導入線)
導入線のうち、バルブ内部分。ニッケル線などが用いられる。
封着線(封着部導入線)
導入線のうち、バルブを貫通する部分。通常ジュメット線(銅被覆ニッケル鋼線)。ハロゲンランプではモリブデン薄箔が用いられる。
外部導入線
銅線が用いられる。
ヒューズ
外部導入線のうちの1つはフィラメント折損時等に発生するアーク放電による過電流を防ぐため、ヒューズとなっている。コンスタンタン線が用いられる。
アンカ(吊り子)
フィラメントを支える補助線。モリブデン線が用いられる。
バルブ
フィラメント部を封入したガラス球。通常軟質ソーダガラス、ときに硬質硼珪酸ガラス。ハロゲンランプでは石英ガラスが用いられる。
使用する電流

電源直流交流のどちらでも使用可能である。瞬間的に電流が途切れてもフィラメントの赤熱は持続するため、交流電源の場合でもチラツキは無い[注 1]
歴史

19世紀後半、電気照明にはアーク灯が用いられていたが、花火のような灯りでバチバチという音も伴うもので屋内の照明にはまぶしすぎた[3]。一般家庭の室内照明にはガス灯が普及していたが、爆発の危険性もあるほか室内の壁が黒ずむ問題もあり、硫黄やアンモニア臭が発生することもあった[3]。また、ガス灯は大量の酸素を必要としたため、酸欠によるめまいや頭痛を引き起こすこともあった[3]。他に電気を使った発光体としてガイスラー管もあったが、高電圧を必要としもっぱら実験用途で照明用には使われなかった。

そこで19世紀半ば以来、電気エネルギーを利用した照明の開発に多くの発明家が取り組んだ[4]。イギリスのジョゼフ・スワンとアメリカのトーマス・エジソンが開発を競っており、スワンが1878年には白熱電球を発明したが、フィラメントは径が4mmと太く利便性等の問題があった[5]

1879年10月19日、エジソンは木綿を炭化させてフィラメントにした実用炭素電球を開発した[6][7]。フィラメントの材料に白金を試していたが加熱するとガスが出て寿命が短くなる問題があった[5]。そこで炭素処理を施した厚紙を使ったが最終的には竹を使用することになった[5]。エジソンは中国と日本に部下を派遣し、最終的に粘着性と柔軟性に富む京都・八幡真竹がフィラメントに採用された[5][8]。エジソンの開発した電球のフィラメントは径が0.4mmと細く、自由に点けたり消したりするのに優れた特長をもった[5]

エジソンは高抵抗のランプを使用することで、電圧100Vに電球を並列に接続しそれぞれ独立して点滅できるようにするとともに、ソケットをねじ込み式(エジソンベース)にして自由に交換できるようにした[3]。そして発電所から各需要家に電気を供給するためのシステムを構築した[3]

1904年、オーストリアのアレクサンダー・ユスト(Alexander Just)とフランツ・ハナマン(Franjo Hanaman)がタングステンのフィラメントを発明したが、資金不足により1906年にやっと押線タングステン電球を商品化した[9]。ただ、この電球に使われたタングステンは脆くて加工が困難で、フィラメントは衝撃に弱く[9]取り扱いに注意が必要だった。1910年ゼネラル・エレクトリックのウィリアム・クーリッジがその欠点を解消した引線タングステン電球を開発した[10][6]

1913年、ゼネラル・エレクトリックのアーヴィング・ラングミュアが、タングステン電球の黒化現象は蒸発したタングステンのガラス面への付着であると確認し、その防止策として不活性ガスを注入したガス入り電球を開発した[11][6]。これにより電球の効率が向上し、寿命が著しく伸びた[11][6]

1921年、東京電気(現・東芝)の三浦順一技師がタングステン電球のコイルを二重にした二重コイル電球を開発し、熱損失の減少と電球の効率向上につながった[12][6]

電球の効率向上により、まぶしさが問題となり、1923年に東京電気の不破橘三が電球内部をつや消し処理する方法を開発した[13][6]。ほぼ同時にゼネラル・エレクトリックのマービン・ピプキンも内面つや消し電球を開発したが、不破の方が約1年早く特許を申請していた[13]。1925年につや消しによる強度劣化を防止する方法を考案し、内面つや消し電球が完成した[13][6]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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