白人至上主義
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「白人の誇り」をアピールするネオナチカナダカルガリー、2007年8月25日)

白人至上主義(はくじんしじょうしゅぎ、: white supremacy)は、人種差別的思想のひとつであり、スローガンとして「ホワイト・パワー」[注釈 1]・「ホワイトプライド」という言葉が頻繁に用いられる。

白色人種がそれ以外の人種(インド系やアラブ系、北アフリカ系などの有色のコーカソイドを含む「有色人種」)より優れているという理念であり、この思想を持っている者達を白人至上主義者(はくじんしじょうしゅぎしゃ、white supremacist)と呼ぶ。
歴史黎明期の白人主義者として知られるゴビノー伯爵。一方で彼は母の先祖に黒人が存在するかもしれないと恐れた[1]南軍司令官にして元奴隷商人という肩書きを持つネイサン・フォレスト将軍。最初のKKKで指導者の地位にあったが、解散を宣言してKKKから離れる。

当時はチャールズ・ダーウィンらの研究によって生物学(ひいては人種研究)が飛躍的な進化を遂げた時期ではあったが、その研究は現在に比べれば欠陥が多く、導き出された答えにも偏りが存在していた。研究を担う学者達が近代文明を創造したヨーロッパ人で占められていたのも、人種研究に関する公平さを欠く遠因となった。実際、先述した近代生物学の権威たるダーウィンの従兄弟は、白人至上主義の影響を多分に受け、今日では人種区別思想と考えられている優生学を創始したフランシス・ゴルトンであるが、ダーウィンはゴルトンの優生学に対して一定の評価を与えている。古典的な段階における植民地主義や帝国主義の場合、この人種区別的なイデオロギーは一部の無根拠な差別思想を除き問題無く広まっていた。

現代に入って植民地諸国の独立が進み、さらなる進歩を遂げた生物学による人種研究が進められても白人至上主義はヨーロッパ(あるいはその流れを汲む国々)の人々の意識と無関係になったとは言いがたい。各国憲法、国連憲章などにおける人種区別による人種差別の廃止、人種差別撤廃条約や公民権運動などによる働きかけにもかかわらず、合衆国の法学が白人性の概念を取り上げて問題化しているように、そのイデオロギーは存続している。
定義

前述の通り、「白人」や「コーカソイド」が他人種よりも優越的であるとの主張である。三大人種などの、色で区別するよりも的確な人種理念を元より作られた経緯を持つ。


アメリカの白人至上主義者は、一滴でも黒人の血液が混ざっていれば黒人であり、白人と見なされないという差別意識を持っていた。
白人至上主義の例
ロシア

ロシアの白人至上主義、ネオナチ極右のグループには、ロシア帝国運動スパルタ大隊、ルシッチ、ソマリア大隊ワグネル・グループなどがいる[2]。また政党では、エル・デー・ペー・エル(元のロシア自由民主党)が存在する。ソ連の崩壊によって生じた屈辱と劣等感の解消と、同性愛者差別、宗教差別、自民族中心主義人種差別などの特徴がある。プーチンのロシアは、東欧の極右と同じく領土の見直しを主張している[3]
アメリカ
クー・クラックス・クラン (KKK)
詳細は「
クー・クラックス・クラン」を参照クー・クラックス・クランは、アメリカにおける白人主義の代名詞としてしばしば紹介される著名な団体。元々は南北戦争後に旧南軍兵士らが立ち上げた交遊会であったが、次第に南部の反黒人グループを統合する存在として台頭した。政府により非合法化されたことで一度解体されたが、後にキリスト教原理主義と結びついて(そのため、当初は無かった「反ユダヤ主義」などの宗教的教義が加えられた)、「第2のKKK」として再興された。アメリカ中南部を中心に活動し、最盛期は構成員が知事に選出されるなど権勢を極めた。しかし性愛問題など人種主義から離れた部分への論難やリーダーのスキャンダル事件によって衰退し、現在は無数の小規模組織に分裂している。ウェブサイトストームフロント(英語版)管理人のドン・ブラック(英語版)はKKKと太いパイプを持っており、ネット上の白人主義でもKKKが影響力を維持している。
アメリカ・ナチ党[注釈 2]


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