登米郡
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日本 > 東北地方 > 宮城県 > 登米郡
宮城県登米郡の範囲(水色:後に他郡から編入された区域)

登米郡(とめぐん)は、宮城県陸奥国陸前国)にあった
郡域

1878年明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、登米市の大部分(津山町各町を除く)にあたる。なお、登米市石越町各町が1877年、登米市南方町各町および迫町新田、迫町北方が1878年まで栗原郡に所属した。
歴史
近代以降の沿革

幕末時点では陸奥国に所属し、全域が仙台藩領であった。当時の郡名の読みは「とよま」。「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での村は以下の通り。(24村)
吉田村、寺池村、森村、小島村、日野渡村、日根牛村、楼台村、米谷村、狼河原村、西郡村、浅部村、嵯峨立村、水越村、加賀野村、大泉村、石森村、弥勒寺村、黒沼村、桜場村、上沼村、新井田村、鱒淵村、鴇波村、赤生津村

明治元年

9月24日1868年11月8日) - 戊辰戦争で仙台藩主伊達慶邦が薩長軍に降伏し、全領土62万石を没収される。

12月7日1869年1月19日

陸奥国が分割され、本郡は陸前国の所属となる。

登米郡は常陸土浦藩取締地となる。



明治2年

3月22日(1869年5月3日) - 土浦藩取締地が涌谷県を称する[1]

8月7日(1869年9月12日) - 登米県(とめけん)の管轄となる。


明治4年

11月2日1871年12月13日) - 第1次府県統合により一関県(第2次)の管轄となる。

12月13日1872年1月22日) - 一関県(第2次)が水沢県に改称。


明治8年(1875年

10月17日 - 以下の各村の統合が行われる。(13村)

登米村(とよまむら) ← 寺池村、小島村、日野渡村、日根牛村

米川村 ← 狼河原村、鱒淵村

錦織村 ← 西郡村、嵯峨立村

浅水村 ← 浅部村、水越村

田沼村 ← 新井田村、黒沼村

潤沼村 ← 赤生津村、鴇波村

上沼村 ← 上沼村、大泉村、弥勒寺村

米谷村 ← 米谷村、楼台村


11月22日 - 水沢県が磐井県に改称。


明治9年(1876年

4月18日 - 第2次府県統合により宮城県の管轄となる。

11月 - 区の再編により、栗原郡と共に宮城県第4大区となる。

宮城県第4大区(全16小区。栗原郡・登米郡13?16)
小区所属村
小13区吉田村、潤沼村
小14区登米村、浅水村、田沼村
小15区石森村、上沼村、桜場村、森村
小16区米谷村、米川村、錦織村


明治10年(1877年) - 栗原郡石越村の所属郡が当郡に変更。

明治11年(1878年

潤沼村を赤生津村・鴇波村に分割。

10月21日 - 郡区町村編制法の宮城県での施行により、行政区画としての登米郡が発足。郡役所が北方村の佐沼城下町に設置。同時に郡名の読みを「とよま」から「とめ」に改める。同日大区小区制を廃止。


明治12年(1879年

登米村から日根牛村が分立。

米川村が狼河原村・鱒淵村に分割。

錦織村が西郡村・嵯峨立村に分割。

栗原郡北方村・南方村・新田村の所属郡が登米郡に変更。


明治13年(1880年1月17日 - 遠田郡西野村・中津山村の所属郡がを登米郡に変更[2]

町村制以降の沿革1.佐沼町 2.北方村 3.南方村 4.米山村 5.吉田村 6.豊里村 7.登米町 8.浅水村 9.米谷村 10.米川村 11.錦織村 12.上沼村 13.宝江村 14.石森村 15.石越村 16.新田村(赤:登米市)

明治22年(1889年4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足[3]。全域が現・登米市。(2町14村)

佐沼町 (北方村の一部[4]が単独町制)

北方村 (北方村の一部[5]が単独村制)

南方村 (単独村制)

米山村 ← 西野村、中津山村

吉田村 (単独村制)

豊里村 ← 赤生津村、鴇波村

登米町 ← 登米村、日根牛村

浅水村米谷村(それぞれ単独村制)

米川村 ← 狼河原村、鱒淵村

錦織村 ← 西郡村、嵯峨立村

上沼村 ← 上沼村、桜場村

宝江村 ← 田沼村、森村

石森村 ← 石森村、加賀野村

石越村新田村(それぞれ単独村制)


明治27年(1894年)4月1日 - 郡制を施行。

明治36年(1903年12月11日 - 米谷村が町制施行して米谷町となる。(3町13村)

明治45年(1912年5月15日 - 石森村が町制施行して石森町となる。(4町12村)

大正12年(1923年)4月1日 - 郡会を廃止。郡役所は存続。

大正15年(1926年7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地理区分名称となる。

昭和11年(1936年1月20日 - 米山村の一部(西野の一部)が吉田村に編入[6]。(6町2村)

昭和17年(1942年)7月1日 - 「登米地方事務所」が佐沼町に設置し、登米郡全域を管轄する。

昭和25年(1950年)4月1日 - 豊里村が町制施行して豊里町となる。(5町11村)

昭和30年(1955年)4月1日 - 佐沼町・北方村・新田村が合併して迫町が発足。(5町9村)

昭和31年(1956年

4月1日 - 石森町・上沼村・浅水村・宝江村が合併して中田町が発足。(5町6村)

9月30日 - 錦織村・米川村が合併して日高村が発足。(5町5村)


昭和32年(1957年

4月1日 - 中田町の一部(森の大部分)が迫町に編入。

5月1日 - 米谷町・日高村が合併して東和町が発足。(5町4村)

12月25日 - 米山村・吉田村が合併して米山町が発足。(6町2村)


昭和34年(1959年)4月1日 - 石越村が町制施行して石越町となる。(7町1村)

昭和39年(1964年)4月1日 - 南方村が町制施行して南方町となる。(8町)

平成17年(2005年)4月1日 - 登米町・豊里町・中田町・東和町・迫町・南方町・石越町・米山町が本吉郡津山町と合併して登米市が発足。


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