登山靴
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登山靴(とざんぐつ)とは、登山の目的に使用するのことで、登山形態にあわせて様々な種類がある。
概説

登山は、普通は平坦でならされた道ではなく、表面が不規則、不安定で、しかも傾斜のある場所を、重い荷物を担いで歩くものである。そのため、普通の靴ではすぐに壊れるし、靴底は滑るし、足の裏は痛くなり、また足首をひねることが多い。登山靴は、これらの問題を起こりにくくするために作られたものである。

靴を重要とするスポーツは数多いが、登山の場合はその性能の良否が生命を左右することがある[1]
通常の靴との違い.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

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普通の靴との違いは以下の通り。なお、これは旧式の一般的登山靴である。

滑りにくくするため、靴底の刻みが深く大きい。

凹凸の多い地面で足裏を痛めないよう、靴底が厚くて硬い[1]

石に当たったりした場合にも足を痛めないよう、全体に分厚い素材で作られている[1]

急傾斜を歩いた時に足首に負担がかからないよう、足首までを覆うようになっている[1]

これらの結果として登山靴は非常に重くなり、素材が革しかなかった時代にはkg単位の重さがあった。これは必ずしも悪いことではなく、特に重い荷物をかつぐ場合には、足が振り子の要領で振り出せ、むしろ歩きやすい側面もあった。しかし重ければよいわけではないし、荷物が少ないときには軽いに越したことはない。軽登山用には布製のキャラバンシューズというのがあった。しかしその後次第に様々な合成素材が開発され、登山靴の種類も増えていった。
種類

重登山靴 - あらゆる状況に対応出来るように作られた登山靴。重量物を背負って歩くのに向いており、極めて分厚く頑丈な素材や靴底で、非常に厳しい岩場でも問題なく歩行でき、足首の保護もほぼ完全である。反面重量も相当なものとなる。またその強固さから普通の道を歩く際は足にかなりの負担がかかる。後述の
プラスチックブーツの一部やビルトインゲイターもここへ含められる。特に冬山登山を目的としたものはアイゼンを装着するための「コバ」と呼ばれる窪みがついているものが多い。

トレッキングシューズ(軽登山靴) - 無雪期に軽い荷物で歩くのに向いた靴で、底が軟らかくて軽い。履き口が高く足首まで保護されている方が、足首を捻りにくく、傷めてしまったときの影響が少ない。

レギュラー登山靴 - テント山行など重い荷物を負っての山行や、軽い雪山に向く。中底が厚くて固く革が厚いので、荷重に耐え、防寒性と防水性が高く、雪山でのキックステップアイゼン装着に向いている。他に冬用の登山靴もある。

プラスチックブーツ - スキー靴でよく見られるようなプラスチック製の登山靴。皮製の重登山靴に比べ保温性が高く、高所登山に向く。湿った雪の多い日本では防水性の観点から快適。スキー兼用靴もプラスチックブーツが多い。近年では突然破砕の問題から高所登山や冬山用登山靴の主流から外れつつある。

ハイ・アルティチュード・ブーツ - プラスチックブーツに代わりヒマラヤなどの高所登山で主流になっている登山靴。オーバーシューズの役割をするスパッツを一体化することで密閉性と保温性を高めている。靴本体と保温用インナーの三重構造になっているものもある。

クライミングシューズ - フリークライミング岩登り用。足にぴったりで、摩擦が強く、細かいホールドを利用することができる。

渓流シューズ - 釣り沢登り用で、濡れた岩でも滑りにくい。

歴史
黎明期から靴鋲の時代

1788年オラス=ベネディクト・ド・ソシュールがモンブランのジュアン峠に登った時の銅版画を見ると、この頃は平野部で使う靴とほとんど同じものが使われていたようである[1]。これが登山靴として特化されたのはイギリス人がアルプスにやって来て猟師や水晶採りとして働いていた人々をガイドに登るようになってからである[1]1884年春にエドワード・ウィンパーが描いた『ツェルマットのクラブ室』というスケッチを見る限り貧弱な革靴であったが、いわゆる銀の時代[注釈 1]になると、かなり頑丈に進歩し、靴鋲がびっしり打たれている[1]

靴鋲は岩場に弱く、岩登り向きとされていたトリコニーも一枚岩に弱いという欠点があり、また鉄製であるため冬季には猛烈に冷える[1]。このため岩場では1918年に発明された[注釈 2]地下足袋に履き替え、重い登山靴を担いで登っていた[1]
日本における登山靴と草履

登山家でもあったアーネスト・サトウ1863年六甲山を訪れた際に鋲を打った登山靴を持ち込んでおり、これが日本で使われた最初の登山靴と言われている[1]ウォルター・ウェストン1894年笠ヶ岳に登った際、靴鋲を打った登山靴を履いていたが、穴毛谷を下降した際に同行の仲間が草履を履いて楽に岩から岩へ跳んでいるのを見て、草履を1足借りて靴の底に結びつけて成功した旨を伝えている[1]

このように日本で登山が始められた頃に登山靴が入って来たが、当時履物と言えば草履であり、小島烏水も「穿物は草履に限る。長靴釘靴は、日本の山岳には断じて不適当なるを確言して憚らず」と主張するなど重さ、大きさ、堅さに皆一様に辟易し、欧米人しか用いずただちに普及はしなかった[1]。そのためウォルター・ウェストンが登山靴に草履を重ね履きした話を伝え聞いて溜飲を下げた[1]。実際ウォルター・ウェストンは穴毛谷での経験以来たびたび登山靴に草履を併用したようで、1913年に上高地河童橋で撮影されたその足下には登山靴に結びつけられた草履が写っている[1]。この草履の登山靴併用は当時の外国人登山者の間で流行したが、これはその効果よりも異国趣味を楽しもうという気持ちが含まれていた可能性もある[1]

実際には草履は消耗が激しく、たちまち履き潰してしまうため、食料と同様に日数に比例した数を用意する必要があった[1]1915年に針ノ木峠から槍ヶ岳に縦走した一戸直蔵河東碧梧桐長谷川如是閑らは150足の草履を携行するためだけに人夫を雇ったが1人では背負いきれなかったという[1]。ただ現実には輸入品もなく国産品を作る職人もいなかったので、身近な存在にはなり得なかった[1]

1921年槇有恒アイガーから凱旋し、同じ年にマリヤ運動具店(現好日山荘)がミッチランガー・ガウバから登山靴を輸入するようになって、またこの頃日本の登山界もいよいよ積雪期に挑戦するようになっていたことと重なり、草履は登山靴に転換された[1]

1922年には槇有恒の持ち帰ったグリンデルヴァルトのアマハー登山靴が東京本郷の太田屋靴店で、マリヤが輸入した靴は京都日の丸堂で模造された[1]


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