登大遊
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登 大遊
のぼり だいゆう人物情報
生誕 (1984-11-17)
1984年11月17日(39歳)
大阪府高槻市
出身校筑波大学大学院システム情報工学研究科
学問
研究機関筑波大学国際産学連携本部[1]
学位博士(工学)
称号経済産業省認定 未踏天才プログラマー/スーパークリエータ
特筆すべき概念ソフトイーサ株式会社SoftEther 1.0
学会WIDE
公式サイト
登 大遊のホームページ
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登 大遊(のぼり だいゆう、1984年11月17日 - )は、日本の実業家及び研究者プログラマである。

筑波大学第三学群情報学類1年に在学していた2003年SoftEther 1.0を開発し、翌年ソフトイーサ株式会社を設立した[2][3][4]。同社の代表取締役会長を務める。

2017年4月より筑波大学国際産学連携本部准教授に着任し、2022年4月には客員教授となる[1]。2018年より独立行政法人 情報処理推進機構 (IPA) 産業サイバーセキュリティセンター サイバー技術研究室長[5][6]2020年NTT東日本に入社し特殊局員として勤務中。これらの各組織を兼務している[5]WIDEプロジェクトメンバー。
人物
プログラミングについて

「まわりの友達はファミコンで遊んでいたけど、持っていなかったので家にあったNECのパソコンでベーシックを憶えてゲームを作り始めた」ことがプログラミングを始めたきっかけである[7]

小学校2年生のとき、捨てる予定だったPC-8001をもらって、専門書を読んで独学でプログラミングを学んだ。最初はBASIC、その後CJavaC#C++などを覚えたが、低レベルのモジュールを書くことが多いので、Cを使用している。

高校3年生のときに携帯電話のFOMAのメモリ編集ソフト「PLUS for FOMA」をシェアウェアとして公開し、合計200万円くらいになったという。他にもゴールデンアイもどきの3DFPSゲームなども公開していた。高校生や大学学部生時代に何冊かゲームプログラミングの書籍を著している。また、著作権への遵法意識が強く、過去に「シリアルナンバーを回避してシェアウェア登録無しに使うことは不可能」とうたったシェアウェアを開発したが、すぐにクラックされてしまった。現在でも自己のソフトウェアへの著作権に敏感で、フリーソフトとして公開し十分なユーザーを得てから、そのソフトを突然有償化することもあった。

プログラミングは、没頭した無意識の中で行うという。どのようにして没頭モードに入るかということについて本人は「うまく説明できないが、欲を捨てるというか、何も考えないことだと思う。」、「脳の反復的な作業で答えが出てこない場合は、直感的な創造が必要で、それは作家や建築家や画家のように没頭した無意識から生まれる。」などと述べている[8]
VPNソフトウェアの開発

筑波大学の学生だった2003年にIPAの未踏ソフトウェア創造事業に採択され、SoftEther VPNを開発した際、光ファイバーや固定グローバルIPアドレス、ネットワーク機器、サーバーなどを調達し、実験用ネットワーク環境を整備した。SoftEther VPNは後のシン・テレワークシステムの基となった[9]

SoftEther VPNは、VPN性能が強力過ぎる、簡単すぎて危ない、自治体システムの一方向ファイアウォールを貫通したなどとして、経済産業省から2003年12月に配布停止を要求された[9][10]。しばらくすると、「この強力で使いやすいということはいいんじゃないか」ということになり[9]、3年後には、配布停止を要請した同省から経済産業大臣表彰を受賞した[11]

2006年には内閣官房情報セキュリティセンターが、登に「無理難題のプロトコルスタック」を開発させた。これは、情報セキュリティ補佐官であった山口英の考案による「物理Intel NICとWindowsのネイティブ・デバイスドライバの間のパケットを、PCIの上でDMAとレジスタを読み書きし、透過的にそれを差し替えて、自動的にVPNでカプセル化して、IPSec、ISAKMPでカプセル化するが、そのプログラムを、ライブラリを一切使わず、全部自分で作れ」というプログラミング仕事であった。登は無理難題を引受けたところ、難しいプログラムを書くことができるようになり、もらった予算内でハードウェアがいろいろ買えるようになったという[9]
中国政府のGreat Firewallのハッキング

2012年には登が筑波大学に置いていたSoftEther VPNのページを、中国政府のグレート・ファイアウォールが「挨拶なしに遮断したこと」をきっかけに、「大学の研究員としては、このけしからん外国政府のGreat Firewallの中身を全部解剖し、それに対応する大規模な分散型中継システムを作る必要がある」として、VPN Gateを開発した[12]。その結果、登は、逆にグレート・ファイアウォールに任意のIPアドレスを投入し全中国の通信を止めることに成功し[12]、その論文をシアトルの会議でUSENIXに発表した[13]
筑波大学地下道の探索とNTT東日本との出会い

また登は筑波大学で会社を立ててもやることがなかったので、ハムスターを飼っていた。このハムスターを回し車に入れていたところ、大学事務にばれ、「ペットを大学内で飼育してはいけません」との貼り紙が貼られた。ただし実験動物は例外だと言われたので、このハムスターを実験動物だと言い張るためにWebでストリーミング配信したところ多量のアクセスがきて筑波大学のファイアウォールが毎週水曜日に落ちるようになった。対策としてLANケーブルを大学屋上に引いた所、「学生が勝手に屋上にLANケーブルを引くのは、大変危ないからやめなさい。光ファイバーにしなさい」と大学当局に怒られたことから、大学総務部を驚かそうと、学長室まで地下の抜け穴がある総延長14キロメートルの大学の地下道を通っていた。その地下道でNTT東日本フレッツSINETの光ファイバを見つけ、辿っていき、地元のNTT東日本の電話局に行き着いた。NTT東日本の電話局で、「より先を知りたい」と相談をしたところ、「東京の本社に行きなさい」と言われた[12]

そこで、登はNTT東日本の本社に行ったところ、電話局に機材を置くためのスペースやダークファイバを用いる方法を教えてもらうことができた。「じゃあ置こう」ということで、「大変きれいなNTT設備の中で登の設備だけおかしい場所」が出来上がった[14]。芸術的な配線、上に地域IP網のラックがある中の卵かけご飯なども出来[14]、「どんどんいろんな電話局にこれを置いていこう」ということになり、つくばという茨城の都市から水戸銀座渋谷丸の内大手町池袋に広がっていった。これで超低遅延23区内40ギガのレイヤー2のイーサリンクを作った。これは後のシン・テレワークシステムの元になった[14]。このような地下道の探検とNTT東日本との出会いの様子の再現映像は、2021年2月のBSテレビのドキュメンタリーで特集された[15]

また、登はNTT東日本のフレッツの網内の高速低遅延な折り返しを実現するためにフレッツのシステム内にDDNSサーバを中に置かせてほしいとNTT東日本に幾度となく打診したものの当初は拒否され、「このけしからんフレッツは独裁政治になっていて、民主的議会も何もないので、やらせてくれない」という問題意識を持った。


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