この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
出典検索?: "登坂重次郎"
日本の政治家登坂重次郎とさか じゅうじろう
生年月日1913年4月3日
出生地 日本 茨城県常総市
没年月日 (1997-03-22) 1997年3月22日(83歳没)
出身校茨城県立水海道中学校卒業
前職衆議院議員秘書
所属政党(無所属→)
自由民主党
称号勲二等旭日重光章
衆議院議員
選挙区旧茨城3区
当選回数6回
在任期間1963年11月21日 - 1979年9月7日
1980年6月22日 - 1983年11月28日
テンプレートを表示
登坂 重次郎(とさか じゅうじろう、1913年4月3日 ? 1997年3月22日)は、日本の政治家。元衆議院議員(自由民主党所属)。現在の茨城県常総市出身。 会社員・登坂長吉の三男として生まれる。生後間もなく父母と死別し、父方の伯父・豊島重太郎に育てられる。1932年茨城県立水海道中学校(現在の茨城県立水海道第一高等学校)を卒業後、母校・水海道中学校の事務職員等を経て、1940年土浦税務署に入職する。1944年大蔵省本省に出向し、東京財務局(現在の関東財務局)長・池田勇人の秘書となる。以後池田に師事し、1948年池田の総選挙出馬を期に大蔵省を退官し、個人秘書となる。 1963年の第30回衆議院議員総選挙に、旧茨城3区にて無所属で立候補し当選(当選同期に小渕恵三・橋本龍太郎・小宮山重四郎・伊東正義・田中六助・渡辺美智雄・佐藤孝行・藤尾正行・中川一郎・三原朝雄・鯨岡兵輔・西岡武夫・奥野誠亮など)。以後当選6回。当選後自民党に入党し、宏池会に所属する。経済企画、厚生の各政務次官、衆院文教委員長等を歴任。選挙区に霞ヶ浦を抱えていたこともあり環境問題に熱心で、1980年代初頭には環境アセスメント法案成立のために尽力したが、この時は産業界の強い反対により陽の目を見なかった。1983年、落選により政界引退。 1997年3月22日、死去。享年84。 議会
来歴・人物
栄典
1989年 - 勲二等旭日重光章受章[1]
脚注^ 「秋の叙勲 受章者4492人 隠れた功労積み重ねた人にも光」『読売新聞』1989年11月3日朝刊
先代
渡部恒三 衆議院商工委員長
1982年 - 1983年次代
梶山静六
先代
久保田円次 衆議院文教委員長
1976年次代
藤尾正行
表
話
編
歴
衆議院商工委員長 (1982年-1983年)