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異言(いげん)は、グロソラリア(英: glossolalia
< 希: γλωσσολαλι? = γλ?σσα(glossa 「舌、言語」)+ λαλι?(lalia 「声;言語、言葉、発話、説明、意見」)=「舌から発せられる声」)あるいはゼノグロッシア/ゼノグロッシー(英: xenoglossia/xenoglossy < ギリシア語で「異国の言語(聞き慣れない言葉)を話すこと」)の訳語で、いずれも、学んだことのない外国語もしくは意味不明の複雑な言語を操ることができる超自然的な言語知識、およびその現象を指す。英語では、 glossolalia は主に宗教の分野で、 xenoglossia/xenoglossy は主に超心理学の分野で使われる。日本では、超心理学に関する文脈で、区別の為に後者の異言を「真性異言」と訳す場合もある。当項目では、前者の宗教的な意味で用いられる狭義の異言について主に取り扱う。後者の超心理学的な異言については項目「真性異言」を参照のこと。 日本で実際、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}言葉で表すのはペンテコステ派(カリスマ派)のみで、[要出典]その他の教派との聖書解釈に大きな溝があり、批判の対象になっている。 新約聖書では4箇所に異言の明確な言及が登場する。以下の4箇所である。
キリスト教における異言
聖書にみる異言
ペンテコステの日の異言
使徒行伝2章11節-13節にはペンテコステの日の異言の記述がある。弟子達は「他国のことばで(?τ?ραι? γλ?σσαι?)はなしだした」と記述されている[1] 。「ことばで」(γλ?σσαι? (gl?ssais);γλ?σσα の複数与格)は普通、ことばを話す器官である舌と、話す言葉の両方を意味する。「他の」(希: ?τ?ραι? (heterais);?τερο? (heteros)の女性形複数与格)は弟子達が自国語ではない国語で話したことを示す。聖書の記述によると、ここで言及されている異言は外国語である。弟子達が、学んだことのない、自国語でない言語を、話したという現象である。 彼らはその話すことばを理解することができ、ことばの混乱を起こしたバベルの塔の物語とは逆に、聖霊は人々が言葉を越えて互いに理解し合えるようにされた。
コルネリオの家における異言
使徒行伝10章44節-47節には、ペテロが神の強い促しによって、コルネリオの家に集められた異邦人たちに福音メッセージを語った時に「?、みことばに耳を傾けていたすべての人に聖霊がお下りになった。」(44節)と記述されている。そして、彼らは「異言を」(γλ?σσαι?)話した。この異言は外国語であったかどうか明確には言われていない。しかし、「私たちが主イエス・キリストを信じたとき、神が私たちに下さったのと同じ賜物を彼らにもお授けになった。」(同11章17節)との記述から、この異言はペンテコステの異言と同じ性質のものであることが推測できる。
異言とヨハネの弟子達
使徒行伝19章1節-7節には、パウロがバプテスマのヨハネの弟子と会った記述が書いてある。パウロがキリストと聖霊について教えた後に、両手を彼らの上に置いた。すると彼らが異言を語ったという記述がある。「聖霊が彼らに臨まれ、彼らは異言(γλ?σσαι?)を語ったり、預言をしたりした。」(使徒行伝19章6節)この異言が外国語だったとは明確に言われていないが、ペンテコステとコルネリオの家の現象と同じ単語が使われていることから、同じ現象と思われる。
コリントにおける異言
コリント人への手紙第一12章1節-14章40節には、コリントの教会において人々が異言を語っていたといことが記述されている。パウロは異言が神の賜物であることを認めて、異言を禁じてはいないが、誤用については指摘している。この異言もペンテコステの異言と同じ γλ?σσα が用いられているので、ペンテコステの外国語を話す現象の可能性が高い。異言を語るルールについてパウロは言及している。パウロは、異言を語るならば秩序を保ち二人、多くても三人で順番に語り、一人はその解き明かしをするようにし、また異言を解き明かす者がいなければ教会では異言をせず、個人的にすべきとしている。