異端
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ガリレオ・ガリレイは異端の有罪判決を受けた

異端(いたん、: heresy)とは、正統との対比で生ずる概念である。

下記はその辞書的な定義である。

正統から外れたこと[1][2]。学説で正統と対立する異説[3]。系統で正統と対立する異系統。

その時代において正統とは認められない思想・信仰・学説などのこと[1]。多数から正統と認められているものに対して、少数によって信じられている宗教・学説など[2]

本来の教義を忠実に継承していないこと。統治者である事に相応しい理由を持っていないこと。

宗教において、正統を自負する教派が、正統とする教理教義に対立する教義を排斥するため、そのような教義をもつ者または教派団体に付す標識。

以上。

宗教学辞典などで、異端は正統あっての異端、つまり「異端」という概念は「正統」という概念があって初めて成立するものであり、それ自体で独立に成立する概念ではない[3]、相関的概念である[4]、とされている。また哲学事典などでも「正統」と「異端」は動的な対概念である[5] とされている。

従って、「異端」という概念だけを説明しようとしてもうまく説明できない面が多々あるので、本記事では「正統」と「異端」という概念の両方について総合的に解説しつつ、その中で「異端」という概念も解説してゆく。
概説

「異端 (英語: heresy, 英語: heterodoxy)」は「正統 (英語: legitimacy, 英語: orthodoxy)」の動的な対概念である。訳語として、heresy と legitimacy は「系統」の異端と正統を表すのに対して、heterodoxy と orthodoxy は「教義」「学説」(= doxy)の異端と正統に重点が置かれる。宗教学辞典などで、異端は正統あっての異端、つまり「異端」という概念は、「正統」という概念があって初めて成立するものであり、それ自体で独立して成立する概念ではない、と説明される。「正統」と見なすものがあり、それではないものを「異端」と見なすということである。[6]

正統から外れたものと見なすこと、異端として扱うことを「異端視」と言う[1]。正統と異端を総称して「正閏」という(用例:正閏論)。

何が正統で何が異端かについての論争は「異端論争」と呼ばれている。例えば、キリスト教で言えば、アタナシウスの教えを正統としアリウスの教えを異端としたニケーヤ会議(第1ニカイア公会議)は歴史的かつ典型的な異端論争である[3]

儒教でも、異端に対する徹底的な排撃が起きた。キリスト教イスラム教などでも、大きな事件が起きたこともあった。

イギリスのワーバートンが述べた「正統は私の意見であり、異端は他人の意見だ」という表現にも端的に現れているように、異端論争には主観主義的な要素が含まれる傾向がある[3]

正統/異端の区別は、思想やイデオロギーなどにおいても重大な関心事となる[3]。例えば、マルキシズムのように絶対主義的な主張内容を含むイデオロギーなどでそうなる[3]。政治面では、スターリン主義が他の共産主義諸派を異端として排撃し粛清した事件がある[5]。経済面では、(日常的に資本主義社会の中に埋没して生活していると見えなくなってしまっているが、)資本主義社会では、資本主義的自由経済主義が正統視され、強調されすぎており[5]、経済に関する他の主義(共産主義統制経済など)は異端視され排撃されている。同じく、北朝鮮では、政府は「朝鮮民主主義人民共和国」を称しながら、支配者たる金王朝の思想である主体思想のみが正統視され擁護され、国号に含まれる民主主義が異端視され排撃されている。なぜ絶対主義でそれが重大な関心事となるかというと、教義を正しく理解しその唯一絶対性を守ることに熱心であると、それは同時にその絶対性を害なう存在に対しては厳しい警戒の念を抱くことになるからである[3]

上述のように、正統/異端の用法は、宗教的領域からはじまって、政治文化経済などの領域にまで広く用いられている[5]。また同様の概念は、広く学問科学)等々の領域でも存在している。

「異端」という語は、歴史的背景から現代でも基本的には何かしらの反感や嫌悪感を込めて使用されているが、芸術など創造性・独創性が高く評価される分野においては、賞賛の言辞として用いられることもある。

上述のように絶対主義などでは異端を極端かつ無条件に排撃してしまうが、(異端が存在することを許し)異端を常に生んでゆく思想というのは、創造的な思想だとも言える[3] とも指摘されている。

既成宗教の問題点を指摘し、人々のためにその変革を試みる人物は多くの場合、既成宗教から最初は「異端」と見なされることになる。ブッダは、当時のインドの既存宗教勢力から異端視された。イエス・キリストはローマ支配下のユダヤの律法主義者から異端視された。ヨーロッパ中世で一旦腐敗したキリスト教会の問題点を指摘したプロテスタントの人々も当初は異端視・迫害され、米国などへ逃れる必要も生まれた。たとえ「異端」と見なされ排斥されても、それでも、より良い宗教を求める人々によって、既成宗教の問題点が改善されてきたという歴史的事実がある。[7]
呼称

漢語としての「異端」は、儒者が儒教以外の思想、つまりなどを指して用いた[3]

「異端」という語の用い方として、宗教学辞典では「異端」を同一の宗教やイデオロギーを共通基盤として成立するものの間における対立的立場で、正統に対する異端であって「異教」とは異なる[4]、との説明が掲載されてはいる。(つまり学者の立場では、用語ごとに厳密に区別することで学術用語的なものにしたい、という考え方がある。)ただし、実際の用法としては(#キリスト教における異端#儒教における異端など節でも解説するように)異なった宗教を指すためにも用いられている。
ユダヤ教における異端

正統ユダヤ教とされた律法主義者たちとその体制から見て、神の国を説くイエス・キリストは異端と見なされ、処刑されることになった[5]。神の国の理念や実践、アガペー隣人愛(聖書の「善きサマリア人のたとえ」のくだりなどで語られる内容 )といった一連の理念や実践が異端とされたわけである。
キリスト教における異端

キリスト教においては「異端」は様々な用法があるが、例えば党派心、教会の統一を破るもの、不信仰、キリスト教だと称するが伝統的なキリスト教の教えを踏み外している教義・学説などを呼ぶための言葉として用いられてきた[3]。キリスト教においては、「異端」は、キリスト教でないものに対して使われる場合と、キリスト教の中にある異端的な説に対して使われる場合がある。
歴史

異端はすでに初代教会に存在したとされる。パウロ書簡にはたびたび分争への警告がなされている。(後)パウロ書簡である『コロサイ書』および『テトスへの手紙1』などには、非正統的教義を信奉するものへの警告がなされている。伝承では『テトスへの手紙1』に登場するニコラオは、使徒言行録にある執事ニコラオと同一視され、彼が一派を起こして独立し、異端となったものだとする(黙示録2:15)。

異端反駁は、異教反駁と並び、初期の教会著述者の大きな主題のひとつであった。当時の異端派についての研究は、そのような著述家による引用に多くを負っている。キリスト教教義とその文書は、異端とされたそのような説への反駁によって形成され洗練されていったという側面ももっている。対立点は、救いの条件、洗礼の方式、キリスト理解、ユダヤ教との関係、個人の罪と赦し、聖霊についての理解、教会論など多岐にわたった。教会組織において、統制のためいくつかの説またその信奉者が「異端」とされ、異端とされた説を教会で教えることや、異端の者が教会の公的な礼拝に与ることが禁止された。異端者とその取り扱いについての規定は、最古の教会法文献である『ディダケー』(1世紀)にすでに記載されている。教会組織が成熟していくにつれ、異端の判断は教会高位聖職者が組織的決定として行うようになっていく。

はじめキリスト教が非公認の宗教であった時代には、教義間の問題は教会内の問題であり、それほど大きな社会的問題にはならなかった。しかし、キリスト教が国教会として公認され、信者が公に活動をはじめると、異なる教説を奉じる者の間の対立は大きく、教会人事に影響を及ぼすにとどまらず、教会外で騒乱を起こすまでになった。


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