番町_(高松市)
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}日本 > 香川県 > 高松市 > 本庁地区 > 高松 > 番町 (高松市)

番町
ばんちょう
町丁

日本
都道府県 香川県
市町村 高松市
地区(上位)本庁地区
地区(下位)高松
新設1968年(昭和43年)
面積
 ? 合計0.5677083 km2
最高標高7.7 m
最低標高1.6 m
人口(2020年10月1日現在)[1]
 ? 合計2,381人
 ? 密度4,200人/km2
等時帯UTC+9 (JST)
郵便番号760-0017
市外局番087
ナンバープレート香川

番町(ばんちょう)は、香川県高松市中心部の町丁郵便番号は760-0017。全域が住居表示に関する法律に基づく住居表示実施地区[2]で、一丁目?五丁目が存在する。高松市役所香川県庁などが所在して官庁街を形成している他、大病院や進学校など、香川県内の中枢となる施設が多数存在する。
地理

高松市中心部の都心、中央通りの西寄りに位置し、東は中央通り及び県庁前通り、南は菊池寛通り及び県道33号高松善通寺線、西は大学通り、北は市道二番町築地線によって区切られている。

中央通りに面した番町一丁目には企業の支店・支社が入る雑居ビルが多く、高松市役所のほか高松市立中央公園がある。その西側の県庁前通りには香川県庁のほか香川県立高松高等学校(高高)や高松赤十字病院日赤)など県の中核施設や大病院などが立地する。それら大規模施設の裏手にあたる地域は中央通りから離れて西へ向かうにつれ閑静な住宅街が形成されている。

2020年国勢調査による人口は2381人(男1147人/女1234人)、世帯数は1160世帯、面積は56万7708.30m2、人口密度は4632.7人/km2[1]。公立中学校校区は全域が紫雲中学校で、小学校は一丁目?三丁目並びに四丁目のうち1番3号、2番?8番(市道八番町西浜新町線以北に相当)が新番丁小学校、五丁目並びに四丁目のうち1番10号、9番?15番(市道八番町西浜新町線以南に相当)が亀阜小学校に属している[3]

町内における都市計画法に基づく用途地域は、一丁目の全域が商業地域で、容積率中央通りに面した街区及び市道五番町西宝線の北側に面した街区が600%、それ以外の地域が400%である。二丁目?五丁目は大部分が容積率200%、建ぺい率60%の第二種中高層住居専用地域であるが、県道33号高松善通寺線県庁前通り市道五番町西宝線沿いについては容積率300%、建ぺい率80%の近隣商業地域である[4]

北で錦町紺屋町、東で鍛冶屋町 亀井町、南で宮脇町、亀岡町、中央町 天神前、西で扇町幸町に隣接している。
歴史

1968年(昭和43年)に二番丁、二番町、三番丁、三番町、四番丁、四番町、五番丁、五番町、六番丁、六番町、七番丁、七番町、八番丁、八番町、九番丁、宮脇町、紺屋町、天神前一丁目?二丁目、宮脇町一丁目?二丁目の各一部から番町が新設され、一丁目?四丁目を編成する[5]。その後1970年(昭和45年)に九番丁の残部[6]、宮脇町及び宮脇町一丁目?二丁目の各一部[7]、天神前一丁目の一部[8]をそれぞれ編入し五丁目を編成した。

番町の名前の基になったのは町域が、住居表示制度の実施前に二番町?八番町、地番整理の実施前に二番丁?十番丁であったことによる。なお、地番整理は現在の町域の東西で工区が分かれていたため○番丁と○番町は一時併存している。そのような事情から現在でも番町を番丁と表記したりする。

この○番丁は、江戸時代から武家屋敷が立ち並んでいたこの地区の東西の通りにつけられた名前で、それが地名となったものである。現在の町域はその大部分の区域を踏襲しているが、その中でも旧国道11号沿いや、香川大学東側の通り沿い、高松赤十字病院以南の県庁前通り沿いなどはかつての○番丁の区域ではなく、また逆に現在の錦町の南の一部は○番丁の一部であった。

○番丁の起番方法は一番北の通りを「一番丁」とし、南へ順に「二番丁」、「三番丁」…と振っていき、最終的に現在の県庁の南側の通りを「九番丁」とした。ただし「十番丁」は例外で、それまでの九番丁までとは異なり、かつて現在の香大附属小学校の中を貫いていた南北の通りである。その中でも現在の高松市道五番町西宝線にあたる五番丁の知名度は現在でも高く、現在でも当該道路と中央通りとの交点に当たる「番町交差点」は通称五番丁の交差点と呼ばれたり、その北側にはバス停「五番町」があるなどする。なお、現在の番町一丁目から番町五丁目の区分けはかつての一番丁?十番丁の区分けとは無関係である。
年表

1892年明治25年)4月1日 - 現在地に四番丁小学校(現・高松市立四番丁小学校)開校。

1893年(明治26年) - 現在地に香川県尋常中学校(現・香川県立高松高等学校)開校。

1898年(明治31年)2月 - 香川県工芸学校(現・香川県立高松工芸高等学校)設立。八番丁(現・番町四丁目付近)に仮校舎。

1907年(明治40年)6月 - 現在地に日本赤十字社高松支部病院(現・高松赤十字病院)開院。

1908年(明治41年)4月 - 十番丁(現・運動場)の現在地に香川県尋常師範学校附属小学校(現・香大附属小学校)移転。

1917年大正6年)5月20日 - 四国水力電気により高松駅前 - 公園前間に路面電車開業(琴電市内線)。現・番町部分は法泉寺前 - 七番丁。

路線は現・県庁通りの1本東側の市道で、法泉寺以北は戦後の現・県庁通りの建設により廃道になったため現存せず。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:48 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef