番付編成会議
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番付の地位


横綱

大関

関脇

小結

前頭(平幕)

十両





幕下

三段目

序二段

序ノ口

番付外  

番付表(平成24年1月場所

番付(ばんづけ、番附とも表記)は、大相撲における力士の順位表。正式には番付表という。
由来

古くは興行の場所に「興行札」という木の掲示板を立て、興行日時と、出場力士の名前と序列を明らかにした。古番付が基本的に写本の形式で伝承されているのはそのためである。しかし、興行の規模が拡大し、広く告知する必要が生じたために、木版印刷の形式で番付を発行(享保年間(1716?1735年)に木版印刷となる)し、直接相撲場に行く前に、興行の概要を知ることができるようにした。現在でもこの流れを継いで、行司による毛筆書きを写真製版して印刷している。江戸の相撲では、現在宝暦年間(1755年頃)以来の印刷された番付が確認されている。日本相撲協会によれば、1757年(宝暦7年)に縦一枚形式の番付が初めて発行され[1]2007年(平成19年)は発行250周年にあたるという。大坂相撲では、1869年(明治2年)3月場所より江戸時代からの横東西二枚番付を、初めて縦一枚番付の江戸風に改めて発行した[2]。古番付の記録として最古のものは、1699年(元禄12年)5月に京都岡崎天王社において勧進相撲が興行された時のもので、三役の名称もこの番付が初見である。大坂で最古の番付は1702年(元禄15年)4月、大坂堀江勧進相撲公許興行の時のもので、以後享保年間の頃より大坂・京都番付を多くみる。
特徴江戸時代の力士の似顔絵。谷風(4代横綱)や小野川(5代横綱)が記述されている。相撲の番付を模した、温泉のランキング(温泉番付)。

番付は単なる順位表ではない。その特徴は以下のようなものである。

対象物(力士など)を順位によって並べる。この順位は、最も新しい結果を反映させる。

大きくランクに分ける。いわゆる横綱から序ノ口までのような段階に分けてある。この区分は総合的な評価によって行われ、勝負結果などを単純に反映しない。紙上での表記にその差は反映され、格が上の力士ほど字が大きく、立派に描かれる。

全体を東西に分け、紙面上ではそれを左右に振り分け、ほぼ同格のものを対称の位置に並べる。

すでに江戸時代にはこの形式を借りて、古典園芸植物の品種や各地の名所、温泉三味線演奏家、遊女、本拳(数拳/崎陽拳/豁拳)や藤八拳(東八拳)といった拳遊び落語講談などの寄席芸人歌舞伎役者など、ありとあらゆるものをランク付けし、それを番付表として出版することが盛んに行われた。これら相撲以外の様々なものを番付にしたものは「見立て番付」「変わり番付」などと呼ばれる。

格下のものが上位のものを倒す「番狂わせ」などの言葉はここから発している。
大相撲の番付

大相撲に所属する力士は本場所の成績によって地位が序列づけられており、毎場所後に行われる番付編成会議で地位が上下する。
地位・定員

現行制度における番付の地位・定員一覧地位定員
関取幕内横綱不定(不在でもよい)42名
三役大関不定(下限2名[3]
関脇不定(下限2名)
小結不定(下限2名)
前頭(平幕)不定
十両28名
力士養成員幕下120名[4]
三段目180名[5]
序二段不定
序ノ口不定
番付外[6]不定

番付の各地位の定員・人数の変遷


幕内・十両は1888年の十両創設以降、幕下・三段目は第二次世界大戦終戦以降を記す。

定員は付出・十両以下の張出・番付外を除く。また定員が定まっている中での例外的な変動等は省いている。

はっきりした定員が定まっており、かつ以前と変わったところは太字で示す。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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