畔柳信雄
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畔柳 信雄

名前
カタカナクロヤナギ ノブオ
ラテン文字KUROYANAGI Nobuo
基本情報
国籍
日本
生年月日 (1941-12-18) 1941年12月18日(77歳)
出身地東京都文京区
選手情報
ポジションFW[1]
ユース
1957-1959東京教育大学附属高校
1961-1964東京大学
クラブ1
年クラブ出場(得点)
1965-1976三菱銀行
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

畔柳 信雄(くろやなぎ のぶお、1941年12月18日 - )は、日本銀行家、元サッカー選手。三菱UFJフィナンシャル・グループ社長、池田泉州ホールディングス取締役[2]などを歴任した。東京大学経済学部卒。
目次

1 人物

2 略歴

3 脚注

4 関連項目

人物

東京都文京区出身[3]。中学時代よりサッカーを始め[3][4]、東京教育大学附属高校(現:筑波大学附属高校[5]時代は国民体育大会でベスト4の成績を残した[1][4]東京大学経済学部時代はア式蹴球部に所属した[1][4]

1965年に東大を卒業して、三菱銀行に入行。入行後は同行サッカー部に所属して35歳まで現役であった[4]。なお、同期に元三菱商事副社長の有若、帝京大学経済学部教授の荒井らがいた。

東京三菱銀行ではシステム統合担当取締役だったこともあって、ITに強いと云われ[4]マサチューセッツ工科大学 (MIT) 留学時は邦人との交流を断ち、米国人らとの人脈を築いたとされる。座右の銘は「現場百回」。

2006年(平成18年)には三菱東京UFJ銀行初代頭取に就任。その後会長を経て、2012年(平成24年)同行の相談役に退いた[6]

畔柳はサッカー出身であるが他のスポーツにも造詣があり、自身は「力道山の現役中から試合をフォローしている」と語るプロレスファンでもある[7]。また、2011年5月に公益財団法人日本テニス協会の会長に就任した[8]
略歴

1965年 - 東京大学経済学部卒業、三菱銀行入行、日本橋支店配属。

1969年-1980年 調査部、通産省出向(二年間)、五反田支店、経理部、人事部[9]

1980年 - マサチューセッツ工科大学留学

1983年 - 営業本部営業第二部第五課長

1984年 - 営業本部営業第二部第一課長

1985年 - 事務本部システム部部長代理

1987年 - 事務本部システム部副部長

1988年 - 事務本部システム部長

1991年 - 京橋支店長

1992年 - 取締役人事部長

1994年 - 取締役業務統括部長

1996年 - 東京三菱銀行常務取締役業務企画部長

2000年 - 常務取締役 米州本部長(ニューヨーク駐在)

2002年 - (帰国)副頭取[10]

2003年 - 三菱東京フィナンシャル・グループ取締役兼任

2004年 - 東京三菱銀行頭取、三菱東京フィナンシャル・グループ社長兼任

2005年 - 三菱UFJフィナンシャル・グループ社長

2006年 - 三菱東京UFJ銀行頭取

2008年 - 同代表取締役会長

2009年 - 三菱重工業株式会社監査役本田技研工業株式会社取締役、池田泉州ホールディングス社外取締役、 株式会社三菱総合研究所取締役

2010年 - 株式会社三菱UFJフィナンシャル・グループ取締役、株式会社池田泉州銀行社外取締役、三菱UFJフィナンシャル・グループ取締役退任

2011年 - 東京海上日動火災保険株式会社取締役

2012年 - 株式会社三菱東京UFJ銀行取締役相談役[6]

脚注

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^ a b c 「 ⇒東大サッカー部誌創刊号 (PDF) 」p.139、1963年、2014年9月27日閲覧
^池田泉州ホールディングスおよび池田泉州銀行における代表取締役および役員の異動 (PDF) 株式会社 池田泉州ホールディングス 2012年5月14日
^ a b フロントランナー 朝日新聞、2006年5月20日、2014年10月31日閲覧
^ a b c d e “ ⇒【時代のリーダー】”. 日経ビジネス (2009年7月14日). 2014年9月27日閲覧。
^ 同期には、川口順子(第133・134代外務大臣)、島村英紀地震学者)、星出豊昭和音楽大学名誉教授)、松本元脳科学者)、横田洋三国連大学学長特別顧問)などがいる。


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