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をお願いします。(2020年5月)畔上 賢造(あぜがみ けんぞう、1884年10月28日 - 1938年6月25日)は、内村鑑三門下(無教会派)のキリスト教独立伝道者。
農村伝道に従事し、またミルトン、カーライル、ブラウニング等の英文学を積極的に翻訳・紹介した。 1884年、長野県上田町(現上田市)に生まれる。1902年、旧制上田中学(長野県上田高等学校)卒業、早稲田大学予科入学。1904年、内村鑑三の門下生となる。1906年、早稲田大学文学部哲学科を卒業し、千葉県立千葉中学校の英語教師となる。 1909年に同じ内村門下であった、成沢むつと結婚。 1911年、千葉中学校を辞職。千葉県東金町の農村をベースに独立伝道を開始、また執筆・出版活動を行う。 1914年に長男畔上道雄が誕生。 1919年、上京し『聖書之研究』誌の社員として内村鑑三の助手を務める。1927年より上落合の自宅で家庭集会を開始。1928年には内村より独立し、自宅の家庭集会を上落合聖書研究会と称し、毎日曜日午前中に開く。1930年、月刊誌『日本聖書雑誌
経歴
1938年、死去。
著書・訳書等
『リンコーン言行録』(内外出版協会) 1905年
『自助論』(スマイルス、訳、内外出版協会) 1906年
『グラッドストン言行録』(古川金水堂) 1907年
『平民詩人』(内村鑑三と共著、警醒社) 1914年
『悲哀より歓喜まで』(洛陽堂) 1915年
『歩みし跡』(警醒社書店) 1917
『基督再臨の希望』(警醒社) 1919年
『羅馬書釈義』第1 - 第2(警醒社) 1923年
『十字架の蔭に立つ』(向山堂書房) 1924年
「畔上賢造著作集」全12巻(畔上賢造著作集刊行会) 1940年 - 1942年