畑中純
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畑中純
本名畑中 純
生誕1950年3月20日
日本福岡県小倉市
(現:福岡県北九州市
死没 (2012-06-13) 2012年6月13日(62歳没)
日本東京都調布市
国籍 日本
職業漫画家版画家
活動期間1977年 - 2012年
ジャンル青年漫画
代表作『まんだら屋の良太
『百八の恋』
『玄界遊侠伝・三郎丸』
受賞第10回日本漫画家協会賞優秀賞
まんだら屋の良太
公式サイトhttps://www.jun-hatanaka.online/
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畑中 純(はたなか じゅん、1950年3月20日 - 2012年6月13日)は、日本漫画家。男性。福岡県小倉市(現:北九州市)出身。漫画家としてだけでなく、版画家としても活動した。
経歴

16歳の時に漫画家を志すようになり、福岡県立小倉南高等学校卒業後、1968年に上京し、東京デザインカレッジ・マンガ科に在籍。肉体労働をしながら、1コマ漫画を描き始める。1974年に1コマ漫画集『それでも僕らは走っている』を自費出版[1]1977年『月夜』でデビュー[1]1979年から『週刊漫画サンデー』(実業之日本社)にて10年近く続いた連載『まんだら屋の良太』(第10回(1981年度)日本漫画家協会賞受賞)で知られるようになる。本作は2006年、フランスで『RYOUTA DU MANDALA』として翻訳刊行された[2]。2007年より、東京工芸大学芸術学部マンガ学科教授をつとめた。

1984年には夜久弘つげ義春作品発表のために創刊した『COMICばく』創刊号に掲載されることになったつげの『散歩の日々』に登場するH君を、夜久はつげと同じ町内に住む畑中純だと直感した。夜久は畑中の仕事場で多くのイラストを見たが、をイメージの世界に自由に遊ばせ際限なく描き続けた作品の一部を「月夜の音楽会」と題して巻頭に11頁にわたり掲載(カラー3枚、モノクロ6枚)した。『COMICばく』全15巻の表紙の版画をすべて担当した[3]

2012年6月13日、腹部大動脈瘤破裂のために死去[4][5]。62歳没。
作風

独特の絵柄とともに、暴力性・エログロナンセンス・幻想性などを、力強い庶民性で健康的なユーモアへと異化させる、個性的な作風を持つ[6]。版画を用いた表紙を描くことが多い。

デビュー前に志向していた1コマ漫画は、トミー・ウンゲラー久里洋二の影響を受けていたものであったが、デビュー以後にストーリー漫画を描くようになってからは、つげ義春山上たつひこの影響を受けるようになる[6]
主な漫画作品

まんだら屋の良太漫画サンデー実業之日本社

玄海遊侠伝 三郎丸(漫画サンデー、実業之日本社)

百八の恋(モーニング講談社

オバケ(モーニング、講談社 ※最終版として光文社コミック叢書SIGNAL 光文社)

理想宮(ビッグゴールド小学館

大多摩月夜(ビッグゴールド、小学館)

愚か者の楽園(小説新潮新潮社

ガキ(コミックトム潮出版社

良太(月刊コミックビンゴ文藝春秋)※『まんだら屋の良太』の続編

極道モン(実話時代メディアボーイ

筒井漫画涜本(原作:筒井康隆、「遠い座敷」、実業之日本社)

ガタロ(ガロ、青林堂)

月子まんだら(青林堂

SIGNAL VOL.1(原作:江戸川乱歩、「防空壕」、光文社) ※遺作

1970年代記 「まんだら屋の良太」誕生まで(朝日新聞社

関連人物

つげ義春

夜久弘

COMICばく』 - 表紙の版画をすべて担当。

脚注[脚注の使い方]^ a b━畑中純「まんだら屋の良太」 - 『梁塵秘抄』 または ”わしふぃーるど” - 楽天ブログ(Blog)


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