町田町蔵
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町田 康
(まちだ こう)
誕生町田 康(まちだ やすし)
(1962-01-15)
1962年1月15日(62歳)
日本 大阪府堺市
職業小説家音楽家
言語日本語
国籍 日本
教育大阪市立遠里小野小学校大阪市立大和川中学校
最終学歴大阪府立今宮高等学校
活動期間1977年 -
(音楽家として)
1996年 -
(小説家として)
ジャンル小説パンク・ロック
代表作『くっすん大黒』(1996年)
『きれぎれ』(2000年)
告白』(2005年)
『宿屋めぐり』(2008年)
『ホサナ』(2017年)
主な受賞歴ドゥマゴ文学賞(1997年)
野間文芸新人賞(1997年)
芥川龍之介賞(2000年)
萩原朔太郎賞(2001年)
川端康成文学賞(2002年)
谷崎潤一郎賞(2005年)
野間文芸賞(2008年)
舟橋聖一文学賞(2023年)
デビュー作『くっすん大黒』(1996年)
公式サイトOfficial Machida Kou WebSite
ウィキポータル 文学
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町田 康(まちだ こう、1962年1月15日 - )は日本小説家ミュージシャン武蔵野大学文学部教授。旧芸名は町田 町蔵(まちだ まちぞう)。本名は町田 康(まちだ やすし)。

大阪府堺市出身。1981年バンドINU」のボーカリストとしてアルバム『メシ喰うな![1]で歌手デビュー。同バンド解散後もさまざまな名義で音楽活動を続けるかたわら、俳優としても多数の作品に出演。1996年には処女小説『くっすん大黒』で文壇デビュー。2000年に小説『きれぎれ』で第123回芥川賞受賞。以後は主に作家として活動している。既婚。
略歴
音楽活動

中学時代より友人の影響でロックに興味を持ち始める。大阪府立今宮高等学校在学中の1977年セックス・ピストルズに触発され、「腐れおめこ」を結成、町田町蔵 (まちだ まちぞう)と名乗り歌手活動を開始する。1979年に林直人の加入によってバンドはINUへ発展、幾度かのメンバー交代を経て1981年に『メシ喰うな!』でメジャー・デビュー。当時町田は19歳であった。INUはパンクというよりもパブリック・イメージ・リミテッドなどのポストパンクを思わせるノイジーで破壊的なサウンドをもって、土俗的かつ脱力的なユーモアのあふれる独特の日本語詞による音楽性を展開したが、デビューから3ヶ月程で解散。

その後本人の中でロック、或いはパンク・ロックに対する懐疑的な意識のようなものが芽生えたらしく、既存のロックに依存する聴衆に対する挑発と取れるようなライブ活動に終始し、90年代に至るまで音楽性は二転三転した[2]。この時期の町田は、新たにバンドやユニットを作っては解散を繰り返した。知られている主なものに「FUNA」、「人民オリンピックショウ」、「絶望一直線」、「町田町蔵 FROM 至福団」(元INUの北田昌弘、元タコ山崎春美とのユニット)、「愛慾バンド」、「天井天国」、「淫如上人&ミラクルヤング」、「町田町蔵(康)+北澤組[3]」、「町田町蔵バンド」「グローリー」などがある。これらのほとんどは音源製作に至ることなく中断されている。下記のディスコグラフィを参照。

1997年の『脳内シャッフル革命』以降、長らく活動の重点を執筆に移しており、散発的にライヴを行いながら自身のソロバンドやミラクルヤング名義でインディ流通の作品を発表する程度であったが、2010年に13年ぶりのフル・アルバム『犬とチャーハンのすきま[4]』を発表した。

2016年、バンド「汝、我が民に非ズ(なんじわがたみにあらず)」を結成。東京都内を中心に、月一回以上のライブを行なっている。2018年に1stアルバム『つらい思いを抱きしめて』、2019年に2ndアルバム『もはや慈悲なし』、2020年に3rdアルバム『汝我が民に非ず』を発表。
俳優活動

1982年、映画『爆裂都市 BURST CITY』(石井聰亙監督)に出演、以降も『エンドレス・ワルツ[5]』(若松孝二監督、1995年阿部薫役で主演)、『H STORY』(諏訪敦彦監督、2004年)、『鏡心』(石井聰亙監督、2005年)などいくつかの映画作品に出演しているほか、テレビドラマやCMへの出演経験がある。下記の出演を参照。
執筆活動

1992年、町田町蔵名義の『供花(くうげ)』で、詩人としてデビューする。1993年には詩とエッセイが渾然一体となった作品集『壊色(えじき)』を発表している。

1996年、処女作「くっすん大黒」で町田康(まちだ こう)[6]として小説家デビュー。奇妙なこだわりが強いあまり自堕落にならざるを得ない不器用な男が、自省・自制しないまま意味を放棄して脱力気味に疾走する様を独特の文体で描いた。同作品で翌年に第7回bunkamuraドゥマゴ文学賞筒井康隆選考[7])、第19回野間文芸新人賞を同時受賞。芥川賞三島賞候補に選出される。

処女作以来、数作が候補に挙がった後、2000年に「きれぎれ」で第123回芥川賞受賞。同年に『夫婦茶碗』収録の「人間の屑」、『屈辱ポンチ』収録の「けものがれ、俺らの猿と」を原作とした映画がそれぞれ製作された。2001年に詩集『土間の四十八滝』で第9回萩原朔太郎賞受賞、2002年に短編「権現の踊り子」で第28回川端康成文学賞受賞。2004年の『パンク侍、斬られて候』からは自身の愛好する時代劇をモチーフにした長編を発表し始め、2005年には河内音頭のスタンダードナンバー「河内十人斬り」を題材に、殺意の根源と行方を探ろうとした大作『告白』により、第41回谷崎潤一郎賞を受賞、2008年には一人の小心者の遍歴を非現実的意匠を交えてビルドゥングス・ロマン的に描いた長編『宿屋めぐり』で第61回野間文芸賞を受賞した。2023年4月より武蔵野大学文学部日本文学文化学科教授に就任[8]。2023年に『口訳 古事記』で第17回舟橋聖一文学賞受賞。

活動当初から独自の文体、語法、話法を確立しており、スラップスティックな笑いと奇怪なイメージや語彙、語りのリズムがストーリーより前面にフィーチュアされる独特の作風で知られる。描写におけるナンセンスと馬鹿馬鹿しさの徹底ぶりは、上方落語を筆頭に時代劇、河内音頭、浪曲、ロックなどの影響があるとされる。また基本的なプロットの大枠は嘉村礒多近松秋江等の第二次大戦以前の破滅的な私小説や、坂口安吾をはじめとした織田作之助太宰治などの新戯作派の系譜を受け継ぐと評される。
人物

パンク歌手時代の著名なファンに吉本ばなな富岡多恵子(文芸誌での町田との対談において、本人も所有していない『メシ喰うな!』のLP盤について序盤で話している)がいる。

2007年、作詞を手がけ、ライブでの共演経験もある布袋寅泰に暴行を受けて負傷した。後日、町田本人が千葉県君津署に提出した被害届が受理され、布袋は書類送検された。2人が参加するロックバンドの活動方針についての意見の食い違いから衝突したとされ、事件後、町田は女性誌上で布袋への反論を試みた。

上述の上方落語や河内音頭といった関西ゆかりの笑芸に通じている縁か、大阪の朝日放送で毎年1月に放送される「ABCお笑い新人グランプリ」の審査員を過去数回務めている。


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