まちだ まさのり
町田 政則
本名町田 政則[1]
別名義町田 剛(まちだ つよし)[2]
生年月日 (1955-01-07) 1955年1月7日(69歳)
出身地 日本・神奈川県横浜市[3]
身長166cm[4]
血液型AB型[5]
職業俳優、声優、元子役
ジャンルテレビドラマ、映画、舞台、アニメ、吹き替え
活動期間1960年代 -
事務所ぷろだくしょんバオバブ[6]、宝井プロジェクト[3]
公式サイト ⇒公式ウェブサイト
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町田 政則(まちだ まさのり、1955年1月7日[3][5] - )は、日本の俳優、声優、元子役。神奈川県横浜市出身[3]。ぷろだくしょんバオバブ[6]、宝井プロジェクト所属[3]。旧芸名は町田 剛(まちだ つよし)[2]。 幼少期はあまりにも暴れん坊だったため、母か父が行儀を良くするために養成所に入所させられて、子役としてデビュー[7]。子役時代は『喜劇 仰げば尊し』といった東宝、『網走番外地 南国の対決』[8][9]といった東映、『座頭市の歌が聞える』[10][11]といった大映、『大巨獣ガッパ』[12]といった日活といった五社協定であった映画会社の映画作品に出演していたが、松竹だけは出演しなかった[7]。当時は劇団日本児童を経て、劇団ひまわりに所属していた[7]。 学校は武相出身で、中学時代はずっと野球をしていた[7]。高校1年生の時に1年間、硬式野球をしており、「先生やりたいな」と思っていたという[7]。中学時代の後半から高校1年生ぐらいまで2年ぐらい芸能活動を休止していた[7]。その時は「役者やりたいのかな」、「やっぱ好きなのかな」と色々考えていたという[7]。 再び芸能界に戻ったのは同じ野球部に所属していた人物と一緒に行っていた東映演技研修所のオーディションに合格したからである[7]。その後、同演技研修所の6期生[13]として入所[7]。その時に誘った人物は研修所に行かなかった[7]。 その後は役者をしてても何年間か修正していき、浮き沈みもあり、「どうしようかな」、「このままやっていいのかな」と色々なことを考えながら俳優として活動していた[7]。 かつては、東映俳優センター[13]、森プロジェクト[2]、アングル・クリエイト[14]、 ⇒ダテ企画、フェイムステージ[15]に所属していた。 その後、「声優もやろう」と思い[7]、2000年代以降は俳優業の他にも、海外ドラマの吹き替えやアニメ等、声優としても活動している[13]。 2019年、第11回青空文庫朗読コンテスト審査員特別賞受賞。 2020年、第12回青空文庫朗読コンテスト金賞受賞。 趣味は乗馬、スキューバダイビング。特技は居合道(2段)、杖道(2段)[5]。 資格は潜水士、大型自動二輪免許、大型自動車免許、普通自動車二種免許、小型船舶二級[6]。 『忍者ハットリくん+忍者怪獣ジッポウ』では、当時の2人の子役共にハットリくん役を3人で演じていたが、3人のハットリくん役の演者たちの中では一番大きく、一番前で分身の術のシーンをしていたという[7]。 『大巨獣ガッパ』では、サキ役を演じていたが[12]、『大巨獣ガッパ』のオーディションでは何回も行っていた[7]。その時はガッパの子供の着ぐるみを担当したくその着ぐるみのオーディションに受けたかったが、出演者側のほうに合格し、ガッカリしていたという[7]。 石井輝男が監督を務める多数の作品に出演している[13]。
略歴
人物
出演作品
俳優業
テレビドラマ
若者たち(1966年)
アイウエオ(1967年)
刑事くん(1972年)
どっこい大作(1973年)
非情のライセンス(1973年 - 1976年)
特別機動捜査隊(NET)
第646話「嘆きの天使」(1974年) - 和哉
第658話「はみだした青春」(1974年)
第717話「わたしが殺した男」(1975年) - 卓矢
第754話「ドキュメント暴行」(1975年) - 須山
誰のために愛するか(1974年)
燃える捜査網(1975年)
Gメン'75(TBS)
第71話「刑事の女体受託収賄事件」(1976年)?飯塚まさお(弟)
第80話「暗闇の中の密室殺人」(1976年)?暴走族メンバー
第179話「警察署長室ジャック」(1978年)?宗方竜夫の暴走族仲間A
第203話「また逢う日まで 速水涼子刑事」(1979年)?加賀美の仲間
第215話「白バイに乗った痴漢」(1979年)?暴走族
第234話「女たちの拳銃泥棒」(1979年)?スーパー強盗犯B
第253話「白バイに乗った暗殺者たち」(1980年)?岩森貢