この存命人物の記事には検証可能な出典が不足しています。信頼できる情報源の提供に協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。
出典検索?: "町山智浩"
まちやま ともひろ
町山 智浩
生年月日 (1962-07-05) 1962年7月5日(61歳)
出生地東京都千代田区
国籍 日本
職業映画評論家
コラムニスト
脚本家
ジャンル映画
著名な家族町山広美(妹)
押切伸一(元義弟)
事務所(スタジオ・ハード→)
(ジェー・アイ・シー・シー→宝島社→)
(洋泉社→)
フリー
公式サイト映画評論家町山智浩アメリカ日記
主な作品
実写映画
『最も危険な刑事まつり』(監督)
『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』(脚本)
『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド オブ ザ ワールド』(脚本)
書籍
『アメリカ横断TVガイド』(著)
『ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判』(共著)
『ブーンドックス/ブッシュが最も恐れた小学生』(訳)
『9条どうでしょう』(共著)
町山 智浩(まちやま ともひろ、1962年〈昭和37年〉[1]7月5日 - )は、在米日本人の編集者、映画評論家[2][3]、コラムニスト。
株式会社スタジオ・ハード、株式会社ジェー・アイ・シー・シー→株式会社宝島社での勤務を経て[2]、株式会社洋泉社に出向したのち、フリーとなる。
1996年に渡米。アメリカ合衆国カリフォルニア州バークレーに在住。その後は映画評論家やコラムニストとして活動する。なお、『最も危険な刑事まつり』ではメガホンを執っており、『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』などでは脚本を手掛けている。また、『テッド』や『キングコング:髑髏島の巨神』といった洋画の日本語字幕監修も務めている。 この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
来歴
出典検索?: "町山智浩"
1962年生まれ[1]、東京都出身[1][3]。在日韓国人1世の父親と、日本人の母親との間に生まれる。放送作家の町山広美は実妹。 韓国人の父と日本人の母を持つ[4][5]。両親が離婚した後、日本に帰化した[6]。『松嶋×町山 未公開映画を観るTV』♯12:前編で、自身が韓国の俳優リュ・シウォン(柳時元)の親戚だと語っている。 千代田区立麹町小学校[7]、千代田区立麹町中学校[7]、早稲田大学高等学院[7]、早稲田大学法学部 学生時代からアルバイトで出入りしていた編集プロダクション、スタジオ・ハード(漫研の先輩の高橋信之が創設)でケイブンシャの大百科シリーズ(『怪獣ものしり大百科』)ほか多くのアニメ書籍を執筆。そこで紹介されたJICC出版局(現宝島社)において学生バイト兼編集デスクとして任された別冊宝島「ゴジラ宣言」が早々に増刷、その評価により入社が決定する。 初めて自分で作った本が、双葉社の「ルパン三世」である、19歳の夏の頃であり、この本を作った深夜に偶然「ルパン」の原点といえる中平康の「危いことなら銭になる」をテレビの深夜劇場で鑑賞し、衝撃を受ける。町山いわくアニメ「ルパン(第一作のみ)」も映画好きになるきっかけだという[8]。 学生バイト時代は、SF劇場アニメ『レンズマン』などの科学考証にも参加。また、「このビデオを見ろ!」などのムックも編集している。 1985年、JICC出版局(現宝島社)に入社。当時パンク雑誌だった頃の『宝島』本誌編集部に入る。
出生から大学卒業まで
出版との関わり