町丁
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この項目では、日本市区町村の下に置かれる区画として法令上定義される「町または字」における「町」のことを指して、国勢調査などの人口統計等の分野の用語や、地域によっては用いられる語である「町丁」 について説明しています。「町丁」の法令上の正式名称である「町」については「町・字#町」も、また「字」も含めた「町または字」の説明は「町・字」をご覧ください。

町丁(ちょうちょう)は、日本市区町村の下に置かれる行政区画である「町または字[1]」のうち、概ね「(あざ:大字小字)」を除くものを指していう用語であり、国勢調査などの人口統計等の分野で用いられる[2]。「町または字」は、地方自治法において、その区域・名称の新設・変更・廃止の手続が規定され、法令上「町丁」は正式には「(まち、ちょう)」[1]といい、その区域は「町域」(ちょういき)と呼ばれ、それぞれの固有の名称は「町名」(ちょうめい)という。

「町丁」の語は、単独で用いられるよりは、丁目(または丁)のつく町名(区画)を有する市区町村において、その区画ごとの人口を統計として示す時に「町丁別人口」などとして用いられる[3]ことが多い。この場合、同義の語を「町丁目別人口」と表す市区町村もあり[4]、丁目(または丁)のつく町名のない市町村など[5][6]では「町別人口」と表す例も見られる。

町丁(町)の下には、街区符号(○番など)または地番(○番地)が位置付けられる。(地番の前に字(小字)が入る場合もある。)成立の経緯から市街地を中心に設けられており、農村部における字(あざ)に対応する。市街化に伴って「町」と「字」が混在する地域もある。
語義

町丁(ちょうちょう)の語は、『大辞林』において「市区町村内の住居表示に用いられる市街の区分。「三崎町二丁目」のように表示される。」と示される[7][8]

「町丁」の語を立項する辞典は『大辞林』のみであり、その他の辞典に「町丁」の語は見られない。また『大辞林』においても初版には町丁の項は見られず、初出は第2版である[9][10]。その記載についても「「三崎町二丁目」のように表示される。[7][8][9]」と「丁目」がつく町名をいうことを示唆するような表現であるものの、「丁目」の付かない町・字名は「町丁」に含まれるのか、字句として「丁」がどのような意図で付け加えられているのかなど、市町村下の区画としての「町」との明確な違いなどは判然としない。

一方、「町丁」の語は、総務省がまとめる日本政府の統計において、市町村区内の区域を画する町や丁目を示していると考えられる用語として用いられる。例えば国勢調査では、おおむね市区町村内の△△町、〇〇2丁目、字□□などの区域に対応する地域を、平成7年国勢調査から「町丁・字等」として集計単位としているが、その説明に「町丁・字等」および「町丁」そのものの用語の説明は見られない[11]
由来.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィクショナリーに関連の辞書項目があります。町、丁
町の語義の変遷

元々「町」にも「丁」にも「市街」という意味はなく、日本語だけに限られる字義である。

そもそも「町」の字義は「を区切る[† 1]」「田の一区画」である。これが日本語に入るに及び、土地などの一部分という意味の「マチ」が訓として当てられた[† 2]。十巻本『和名抄』にも「町蒼頡篇云町〈他丁反 和名末地〉田地也」とある。これが宮殿ないし邸宅内の一区画を指すようになり、都城条坊制の区画として「町(まち)」が用いられ「」とも字が充てられた[12][† 3]
条坊制と町

都市の区画としての「町」は都城制に基づく日本の宮都の街路(大路・小路)により画される最小の区画[注釈 1]であり、その成立は条坊制の成立と時を同じくすると考えられるが定説はない。大化2年(646年)正月の改新の詔には京に坊を置きたりと記されるが、『大宝令』文に基づく修飾文である。平城京出土の木簡には「左京小治町[注釈 2]」と既に町の固有名すら生まれているのが垣間見られる[† 4]。また特定の種類の居住者の名を冠して神祇町、春宮町、修理官町、左近町、御倉町織部町、縫殿町、木工町といった(いわゆる官衙町[† 5][13]。例は古代から見られ、『続日本後紀』には「以仕丁町地長廿四広四丈広四丈、為陰陽寮守辰丁廿二人盧一居[注釈 3]」と見える[12]。だがこの時点では「町」は市街というニュアンスを有さなかった。
市街地という意味への転化

「町」に市街の意味が付き始めるのは古代も末、平安時代末期まで下る。『類聚名義抄』では「店家俗に町と云う」、『和名抄』にも「店、坐売舎(ざうりのや)也」と記されその注に「今俗に町と云う、この類なり」とあり、この頃から「町」の意味が40(約120m)四方の区画から商店街の意味を有するようになった[13]

官衙町から発した通り「町通」は、町口・町尻小路と呼ばれていたのが略されて12世紀半ばには「町」と呼ばれた。『続本朝往生伝』には「左衛門町は潤屋の地なり、店家屋を比べ百物自ら備る」と本来の市であった東市を上回る盛況振りが言及されている。ここを通る「町通」(現在の京都市の新町通)は三条・四条・七条の交点付近に一大商業地を形成していた[14]

鎌倉時代には「町人」「町屋」という言葉が登場し、鎌倉でも地方でも都会的な場を町と呼ぶことが定着する[14]

1595年の『羅葡日辞書』には「Vicinus <略>リンカニ イル モノ、ヲナジ ch?ni(チャウニ) スム モノ」とある[15]
町と丁

日本では条坊制・条里制により面積および長さの単位としての「町」が普及し、また「丁」は同音であるため長さの単位としては「町」と同じ意味を有するようになった。すなわち、これら単位としての町・丁も日本語だけに限られる字義である。

京都では最初東西二面にしか家屋の門を作ることが認められなかったが(二面町)、後に南北にも認められるようになった(四面町)、この町の4つの辺がそれぞれ一つの町(まち)から分立する「ちょう」として認識されるようになり(四丁町[注釈 4])、応仁の乱の後は向かい合う丁と改めて併せて「町(ちょう)」という自治組織の形態を取るようになった(両側町)[† 6][13][16]

今日では町を細かく分けた単位を丁目(ちょうめ)と呼称するが、本来は城下町などの通り沿いに付けられた町が一丁(約109m)ごとに区切られたもので、1614年の『慶長見聞集』には「皆人沙汰しけるは本町二丁目の滝山彌次兵衛は家をはんぶん瓦にて葺たり」とあり[17]、近世初期にはこの言い方が確立していたことがわかる。


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